2018-11-18

私はかわいそうと思った

私は自分をかわいそうと思った。人には決してかわいそうと言われたくないのに、自分でそう思うのは許せるのだ。 どうして人に言われたくないかと言えば、殴ってきた人からあなた目の周りにあざができてる、かわいそう、と言われるのと同じで、相手自分暴力ちゃんと功を成していたことを確認しているみたいだから

私をかわいそうと言うのが許されるのは、私のことを一度も殴ったことのない人間と、自分自身だけだ。

私は長い間、人前で怒ったら負けだと思っていた。なぜなら、不快なことをされて、怒った時、集団から制裁を受けたからだ。 弱くて、がんばろうとしてもどうにもならなくて、うまく浮き上がる方法を知らなくて、助けを求めていたその時に、その声が怒りとなって出た時、誰も助けてはくれない代わりに、私は晒し者になっていた。そしてその時は声が出なくなった。

そのため私は長い間、誰かに対し、直接怒って来なかった。 でも、怒ってないわけではなかった、二度と彼らに隙を見せないよう、怒りをコントロールし続けて、深く深く内面にその思いは抑圧されていた。 私はそんな自分記憶をかわいそうだと思った。 そんな風に思ってしまうことをかわいそうだと思った。 認知の歪みだと思った。今は、世界がそれだけでできていないことも経験して、尚更、かわいそうだと思った。

転んで少し怪我をしたり、頭を打ったりしただけで、これ以上、傷つく必要なんてないのに、また私は痛くなって、かわいそうに、とぽたりぽたりと涙を落として泣いた。 自分の痛みに極限まで、丁寧に向き合わなければ、弱い者の痛みは分からないと思った。きっといつか何のために生きてきたかわかる。 繰り返し繰り返し、他者と私を見つめ続けて。

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