認識の仕方が「英語圏に住む日本人」という1方向からの視点でしかなく議論の整理としてはあまり良いとは言えない。
ブコメも含めて日本人の他言語者への態度とアメリカ人の他言語者への態度についてあまり実態が知られていないように見える。
これは日本が凄くてアメリカが駄目とかその逆のことを言いたいわけではないけど。
トランプの件でわかったかもしれないけど、アメリカ人は実は訛りにうるさい。
正しい発音を求めてくるし聞き取れなかった場合、大げさなボディランゲージと共に皮肉交じりにジョークを言われることもある。
ちなみに日本人の英語はEngrish(日本人はLとRを聞き分けられないから)と言ってからかうスラングがある。
一方で在日外国人からしばしば聞こえてくるのは、日本人は日本語が母語ではない話者に対してかなり寛容であるという事実がある。
大抵の店員や日本人は日本語があまり聞き取れなくても繰り返し聞こうとしてくれるし、少なくとも馬鹿にはされないという点をよく強調される。
ただ、日本国籍を取得した元外国人や日本語がうまくなり始めた外国人に対する態度に最大の違いがある。
これは
「今までは外国人だから特に言わなかったけど、日本人になった/なろうとするなら話は別ね」
という日本人の文化的規範そのものに由来するとしばしば言及される。
つまり内と外を分けて態度を変化させているというわけだ。
これが在日外国人に
という感想を抱かせることになる。
これが非常にストレスを感じさせるらしい。
・日本は日本語は喋れなくてもしょうがない、でも日本に溶け込みたいなら厳しく指摘するよ
という違いがある。
上記を踏まえて考えると
「日本人はある特定の言語を喋ろうとしている時、訛っている人に対するアティチュードをどう行うべきか」
という点についてよくよく考えなければならない。
問題点は、単に訛りについて寛容になればよい、という単純なものではないことがよく分かる。
訛りを許容するなら日本人の漢字間違いやミスに対する態度をどうするか
例えば、安倍や麻生が日本語を間違えることに対しても許容すべきか否か?
日本人は訛りに対して厳しくあるべきだと言うなら、外国人に対してもそうあらねば多様化社会の中では疎外感を覚える人が出てくるだろう。
逆に訛りに対しては許容すべきだと言うなら、安倍や麻生にもそうであらねばならない。
なぜなら彼ら元外国人は日本人になろうと努力している人もいるからだ。
日本人に対して厳しくあろうとするのであれば、当然彼らも将来的に厳しく追求されることになるであろう。
日本人が英語を話せないのは馬鹿にするのに、外国人が日本語を話せなくても馬鹿にしないのはこういった内と外の使い分けという側面が大きくある。
アメリカ英語なんて、イギリス人から糞みたいに言われてるのに訛りに辛辣なんだね ネドゲで友達になったイギリス出身の人で、普段は本当に紳士で優しい人でも、アメリカ英語は糞と...
アメリカ人もイギリス英語は糞とか言ってるからね。
日本の都会人が方言で話す田舎者をバカにするみたいなステロタイプは今でも健在なのかな