2018-11-04

事故に遭うと痛いのだということ

一昨日の夜中に目の前で人がトラックにはねられた。自転車に乗った男が信号の点滅しているタイミングで渡ろうとした時、右折してきたトラックに巻き込まれたのだった。ボコボコンとトラックは乗り上げて、自転車ごと巻き込んだ。運転手が気付かないことはまずないだろうけど、しっかり後輪でもおまけにはねて、そのままぱーっと走り去ってしまった。

慌てて駆け寄ってみると、男の人は生きていた。でも、ほとんど助からないのかなあと思ってしまった。お腹と脚を潰されていて、それぞれ地面に張り付いていた。なんとかその場から動こうとしていて、その動きが壊れた人形みたいで、見るに堪えなかった。

こういうときどう対処したらいいのか分からない。声を掛けるのもちょっと怖くてできない。急いで携帯救急車を呼んだけど、正確な住所が分からない。今考えれば、通話ながらスマホgoogleマップの住所を読み上げればよかったのだけど、慌てていて、青看板を読んだり、近くの電柱の住所を読んだりして、なんとかその場所を伝えることができた。

取りあえず救急車は呼べたので、男の人の方にまた近寄った。車通りは少ない時間帯だったが、まだ通る可能性もある。スマホライトを点けて、車道に出た。男の人は短くて早い呼吸をしながら、唸ったり叫んだりしていた。いま救急車を呼びました!頑張ってください!と伝えると、ちょっと頷いてくれだけど、本当に、めちゃめちゃ苦しそうだった。なんとか歩道まで運べないかと思ったけど、どうやって持っても私一人では彼の体とかその一部だったものを全て運ぶことはできなさそうだった。

その場で立ち尽くしていると案の定、車が来たので、私は必死スマホを振って止めた。怪訝そうに降りてきた初老男性も、状況を見て車の位置男性かば場所に停めてくれた。新しく車が来たらクラクションを鳴らしてくれた。

その間にも、轢かれた男の人はだんだんと元気がなくなってしまった。声を掛けても反応しなくなってしまったあたりで、ようやく救急車が来た。私にも用事があったので、なにか事故についての話などあればと連絡先と職場名刺だけを救急隊員の方に渡して、その場を去った。今の所なにも連絡は来ていない。

なんだか心が今もざわざわしている。男性が助かったのか、亡くなったのか、そのどちらであっても、分かればちょっと気持ちは楽になる気がする。なにより、轢かれたらめちゃめちゃ痛いのだなあと分かった。当たり前の話なんだけど、自分がそうなることを考えたら、外をイヤホンして歩くのも怖い。

子供の頃、自分死ぬことを想像して怖くなって眠れなくなったことがある。どんなふうに死ぬんだろうとか、どのくらい痛いのだろうかとか。

大人になってから考えなくなったけど、それでも自分死ぬというのはいつか起こることで、今も考え始めると、楽に死にたいなあと思う。

オーストラリアでは、長い道の真ん中でカンガルーを轢いたら、もう一度轢くのだそうだ。道路はめちゃめちゃ長いから、どうせトランクカンガルーを載せて

動物病院まで走っても助からないし、それよりは早く楽にしてあげたほうが人道的(?)らしい。

交通事故死ぬのはめちゃめちゃ痛いよって、啓発もありかなあなんて思った。

  • お腹と脚を潰されていて、それぞれ地面に張り付いていた。 お腹と脚が凹んでて、他の部分は普通だったの? カステラを潰したかんじ?

  • 外をイヤホンして歩くのも怖い それは危険だからやめろって散々言われてきたことだから、そう思えるようになってよかったね…

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