2018-10-31

被害感情を「個人で処理しなさい」というのは正しいか

フェミの文学的被害感情について|琥珀色|noteという記事フェミニズムに対して批判的だが、被害感情に焦点を当て、言語化しているところは上手いと思った。

そう、結局のところ何をしていても微妙不安や恐怖やストレスが付きまとってしまい辛いから、それを何とかしてくれ、わかってくれという欲求は切実だ。

この記事も、「女性が、男性女性社会に傷つけられる」ということ自体は認めている(男性他人にゃ社会に傷つけられることにも言及していて良い)

傷つけられたことで痛みに敏感になるのをメンヘラ化と呼ぶのは多少悪意があると思うが、まあ、そうだ。

だが、その心の痛みを救うのは社会ではなく、カウンセリング能力の高い恋人代表される、密な付き合いをしてくれる個人だ、と書かれており、それはあまり残酷な突き放しではないだろうか。

まれ人間関係を築くことは大変に難しい。心が弱っている人間にとってはますますそうだ(同時に、人間関係に失敗してきた人ほど深い傷を負いやすいとも言える)。

俗語としてのメンヘラではなく、明確な精神障害においてもそうで、支えて癒してくれる人がいればそりゃあいいけれど、なかなか現れないからどうすべきか、というのが、社会福祉に付きつけられた課題だろう。

このような心の弱っている人について「個人個人うまいことやってくれ、社会には無理」と知らん顔をするのは本当に残酷だ。

更に

男女問題を突き詰めると、辿り着くのはいつも女性の「出産機能」と「身体的な弱さ(由来の暴力への恐怖)」であり、そうした生物的な非対称性がある限り、女性被害感情永久に解消されないのかもしれません。そして、根本的に解消しようのない「永久被害感」を逆手にとって、さまざまな要求を突きつけられている、というのが男性から見た実感ではないでしょうか。

というくだり。

結論はともかく、「出産機能」と「身体的な弱さ(由来の暴力への恐怖)」が女性の心身の「弱み」になっており、様々な悲劇の原因になっているというのはかなり頷ける。

そこまで分かっているのであれば、「でも根本解決は今の男女の肉体じゃ無理だから社会解決を求めるな、個々人でうまくできるといいですね」なんて匙を投げるようなことはせず、社会女性の弱みにちゃんと向き合うのが倫理的態度だと思われる。

出産機能」と「身体的な弱さ(由来の暴力への恐怖)」というのは確かにあるものなのだから

その流れの延長線上に、病人貧困孤独、など男女関係なく弱みを抱えた人間社会が手を差し伸べてくれるようになる未来があるはずだ。

  • 「出産機能」と「身体的な弱さ(由来の暴力への恐怖)」というのは確かにあるものなのだから。 そんな生来的でどうしようもないものを理由に人権を奪われてたまるかってんだ。 男...

  • だが、その心の痛みを救うのは社会ではなく、カウンセリング能力の高い恋人に代表される、密な付き合いをしてくれる個人だ、と書かれており、それはあまりに残酷な突き放しではな...

  • ならばそういう人への社会的扶助の枠組みやその予算の話をするべきだ。 でもフェミニストがやってるのは絡みやすそうな相手や見下してる相手への因縁付けや嫌がらせでしかない。 「...

    • そうそう 困ってる人を助けようじゃなくて 自分の怨恨や鬱憤を人にぶつけようっていう態度だもん そしたら防御されるのも無視されるのも殴り返されるのもしょうがないでしょ 無関係...

  • 「向き合う」とか「寄り添う」とか そういうの大事だとは思うけど、具体的にどうサポートするのか提示しないと 良いことを言った感じになるだけで、話は何も進まないわけで……

  • 交番にレンジャーが武装強盗に来たときとかヘリコプターのメインローターが空中分解したときとか 英雄気取りの元増田さんがさっそうと助けに入ったか? 自分は人を助けないくせに

  • 勝ち組でアトハシラネタイプでしょ? 過去の話題見てても、 救いたいけどなにもできないぃ!って無力感善人アピールはすごいけどどうせ俺には無関係だしwってのが透けて見えるから...

  • メンタル系の本を読むとよくアメリカの自助グループの話が出てきたりするけど ツイッターのような公開の場だと先鋭化やノイズが入るのである程度安全でかつ先鋭化させない人がルー...

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