詳細は「GNU」とググってもらえれば判ると思うが、正確性を担保せず説明するのであれば「リチャード・ストールマン氏が創設した自由ソフトウェアに関する考え方の1つ」だ。
ジョークとして「GNUは宗教である」と語られるほど過激なGNU信奉者もおり、GNUに関わる者達はGNUの正当性を社会へ発信し、そして社会へ貢献している。
GNUは自由と密接に関わるため、しばしば左派思想と結び付けられる傾向にあり、そんな自由思想に染まるGNUな人と接触する機会を得たので日本の社会問題を色々と感想を聞いてみた。
あまりにも長くチャットでやりとりしたため会話形式で紹介すると増田では書き切れないので、GNUな人の意見を抜粋する形で紹介したいと思う。
キズナアイのライセンスがGPLではない点について思うところはあるが、キズナアイの成り立ちや活動を見れば「キズナアイはおおむね自由である」と言うのがよくわかる。
キズナアイはライセンスに則ることを前提におおむね自由な利用を保証しているため、開かれたキャラクタと言える。これは評価したい点だ。
キズナアイのNHKに関わる今回の活動が生徒役に関する性役回り固定化の一つの現われだと見る向きもあるようだが、キズナアイはそれ以前から企業や製品PRを受注し、視聴者へキャンペーンをした実績に関してキズナアイを良しとしない層が無視しているのは正直なところ馬鹿馬鹿しいとすら感じる。
キズナアイが仕事であるとしても「この製品は良い」と紹介する、これはYoutuberではありがちなシチュエーションだと思われるが、見方を変えればキズナアイは明らかに先生役だ。
キズナアイは、女性は常に先生役に居なければならず生徒役をするなと言うことか?記憶しているフェミニズムの中には女性の教育学習権利の獲得などがあったはずだが記憶違いだったか?
キズナアイが、彼女という一個性が行なったこれまでの実績を無視するのか。先生であった彼女の実績を無視しゼロとするとは中々突飛な考え方だと評価せざる得ない。
女性の実績は評価されなければならない。彼女の実績を無視をしてはいけない。キズナアイの実績を無視したのはどちらなのか?は火を見るより明らかだろう。彼女の自由な表現を今後も応援していきたい。
歴史学や経済学、社会学の常として現代では評価しにくい分野の一つだからだ。
私個人の考えとして私自身が人間社会へ所属をすることを希求する。つまり人間社会が存在しないと私は非常に困るのだ。
天賦人権ではあらゆる権利が保障されている。生きる自由から他者を殺す自由まで、あらゆる自由が保障されているのだ。
しかし人間社会は人間社会を肯定するため、人間社会は人間社会を維持するために他者を殺す自由を認めることが出来ない。
人間の天賦人権を制限することによって人間社会は維持されるとの見方から、人間社会への所属を希求する私個人としては無制限な自由を諦めざる得ない。
GNUは人間社会の存在が前提として成立するものである。GNUは一種のアナキズム(支配者からの脱却)と見る向きもあるが、アナキズムは人間社会を否定するものではなく、特定の支配者に管理されない人間社会を希求する考え方だ。
この考えに則れば私は安倍政権を否定するだろう。むしろ安倍政権でなくとも否定する。そしてこれはおそらく求められている答えではないはずだ。
おそらく安倍政権の良い部分、悪い部分をGNUの視点で評価せよという意図の質問だったと思われるが、それはGNUの役目ではない。根本からGNUは「政権」を評価できないのだ。それは後世の歴史学や経済学、社会学の者へ任せたい。
AIと言われると非常に範囲が広すぎて答えるのに窮するが、その答えは「AIは人間社会を滅亡させるかも知れない」だ。
ただし、ここには前提があるものと考えている。それは「何らかの理由によって人類が滅亡することが確実視された際、人類を滅亡させる可能性のあるAIがそのワクチンとして機能する場合」であると考えている。
難解なパラドックスへ陥いっているが、早い話が「人類を滅亡させる病原へ対抗できるワクチンは存在するが、ワクチンの副作用によって人類が滅亡する可能性がある」ということだと思って頂きたい。
我々人類は高い知能を獲得し道具を開発した。この道具は石器でも何でも良いが、この道具がおそらく「人類を滅亡させる病原へ対抗する人類を滅亡させる可能性のあるワクチン」だ。
人類の歴史は道具によって生き延び、道具によって殺し合いをした歴史であり、可能性だけで言えばAIがその副作用あるワクチンのポジションになることは否定できない。
義務教育を修めた者なら誰でも理解することだが、AIだけでなく電気だろうが、スマホであろうが何であれその可能性は持つのでAIだけを槍玉に挙げるのは不公平とは言える。
GNUの信奉者、とりわけ私のような技術者は道具の可能性を信じて開発しているが、どこか頭の隅には道具の危険性を常に意識しているだろう。
技術者であるからこそ道具の開発がやめられないのは一部の道具の危険を訴える者達には少々申し訳なく思う。
原発を含む原子力技術の開発は現代日本で非常にセンシティブな問題であると認識しているが、私個人として開発は続行すべきと考えている。
この件に関してはGNU信奉者の中でも意見が分かれると思うが、原子力技術を考えるのであれば反物質・反エネルギーの存在が原発を含む原子力技術の開発続行を推奨する理由となっている。
現段階では反物質・反エネルギーなどというものはサイエンスを通り越してドリーム、人に寄ってはオカルトくらいの評価であると考えられるが、理論上は原発を含む原子力技術のデメリットを吸収できる可能性がある。
すなわちデメリットの反物質・反エネルギーによる対消滅へ期待しているのだが、当然ながら失敗すると宇宙全体が対消滅する可能性もあるため諸手を挙げた期待というほどでもない。
ただ、反物質・反エネルギー単体を考えると現在の原発を含む原子力技術の運用の応用の先に反物質・反エネルギーの運用があると考えられるので、現段階で原発を含む原子力技術の開発・運用を停めることは些か早計のように感じる。
これも先に話したワクチンのパラドックスの一種だと思われるので、人に寄っては立ち位置が違うのではないかと思われる。