東大はね…だめたったんだよ…
最近小売業はなかなか厳しいと言われてるけれども、個人的にはあらゆる消費に対して微妙にケチになっているかもしれない。前は欲しいものがあったらイヤッホウ的に買っていたけど、失敗したことの記憶の蓄積が閾値を超えたみたいで、もういいやっていう風になる。行きたいコンサートはあるけれども、「マニアしか知らない曲ばっかりだったら乗れないかも」「好きな曲をやってくれなかったらお楽しみどころがまるでないかも」という、失敗したくない感が先行して、ズルズルしているうちに時機を逃す。この現象があらゆる消費に対して出てくるので、「失敗したくない病」と名付けた。失敗したくないとは、幻滅したくないということ。ちなみに、これ以上幻滅したくないので、芸能人の類に夢や憧れを抱くのもやめた。ちょっと素敵な人がいても、深入りしないで遠巻きに眺めることにした。そうすれば、嫌な部分を見てがっかりしたり、冷たくされて心を痛めたり、他の異性と仲良くしている様子に密かに苦しんだり、ということがないから。そういうわけで、今、幻滅と失敗をできる限り回避していると思うけれども、案の定、そんな生活あるいは人生はウキウキも熱狂も無関係で、ただ灰色一色の荒涼とした風景になってしまった。門扉に雀の網を張るなんとか、という詩を思い出した。
理屈としては、こう。
仮に階段を登って2階に行くのが必須の仕事があるとする。車椅子の人間は適さないように思える。しかし、彼が2階に行けないのは、彼が車椅子だからか? もしも世界の全員が車椅子だったら、ビルには階段ではなく坂道かエスカレーターがあるかそもそも平家にするか、どれかだっただろう。つまり、彼が階段を上る仕事ができないのは、社会が階段を使ってるせいなのだ。
同じようなことはどんな仕事にも言えて、ある職場にある障害者が就職できないのは、その職場のほうが彼に合わせたデザインをしてないからである。彼以外の普通の人に合わせたデザインはしてあるのにね。これは怠慢であって、差別である。
この理屈はすべての仕事に適応はされないが(目が見えない人に検品の仕事、とかはしょうがない)、しかし普通の障害者と健常者の差は大抵そこまで大きくない。官公庁でデスクワークしてるやつぐらい、車椅子でもいいだろ、とかいう話にはなる。
人とふれあって
疲れる
期待通りの反応が得られない
場合があるのだけど
ためになることも
たくさんある
交流なさればいいのにって
思ったりもします。
ただ一人の時間も
大事で
孤高であることが
資質というか
悩ましい
どっちもありますもん
どういう話がしたいか
どういう関係性で行こうか
もちろん相手によっても変わるし
期待値も
話題も
いろいろだけど
それがうまく嵌ればいいですね
私は違うと思った。
そんなことに仕事を分掌されるのではなく、授業準備により時間を使わせてくれと思った。
わかる。どこの仕事でも、集団でも会計は必ずあるしやらなければいけないのはわかる。
もちろん校務分掌やら部活やらでわかるのだが、これからの教員は「会計」というのはおかしいのではないか。
会計は嫌いではない。が、やはりそちらに重きが置かれるようであってほしくない。
これからは授業だろ!!!生徒の成長のためにもっとじっくり勤務時間内に研究、用意させてくれよ!!
教員の皆さんは、仮に勤務時間内で仕事を全て行うとした場合にどれほどの時間を授業準備に費やせているのだろう。
私の場合は平均2時間である。ある程度授業内容のパターンを決めればなんとかならないこともないが、
これで世間の皆さんは十分授業準備ができていると感じるだろうか。
2 授業の空き時間(50分授業×0~5コマ 授業時間は学校による)
3 放課後(15;30〜 16:30〜 といっただいたい30分〜1時間半)
4 勤務時間後(上限なし)
B 校務分掌(例えば学校行事運営、地域連携、キャリア支援、生徒指導といったグループの仕事)
C 宿題チェック(添削やコメントもつけるなら1クラス分10分ほどだろうか)
F 会議(校務分掌でのグループ会議、職員会議、学年会 30分〜1時間半ほど)
などである
正直、B〜G全部が重い。
CやDは生徒への成長のために繋がっているので率先してやるが、こういうチェック系の仕事は時間が地味にかかる。
私は英語科なので、英作文の添削をよく行っているが1クラス36〜38と考えると30分はかかる。
必要な打ち合わせとして議題に上がっているのなら理解できるが、大体が名目上やっているだけの報告。
そして一番腹立たしいのが定時を過ぎても当たり前のように続けることだ。16時すぎに始まって18:30頃終わったりする。
管理職が何事もないように、区切ることを一切せずに話を進める様は怒りで震えてくる。
職員たちの時間を当たり前のように搾取するな!!!会議で延びた時間のお金はでてないぞ!!!
私は最近試しに無理にでも17時に切り上げるようにしてみた。バスの都合もあり実際は15分くらい業務をしているが。
もっとやりたいんだけど、無理にでも切り上げよう。働いたら犯罪!という独自のルールを作って日々を送ってみた。
家で仕事を持って帰ることはしない。まぁ授業の構想は練ったりはするが、負担にならない程度である。
まして、うちの学校は英文にルビを振る必要がある生徒も在籍しているため、何かアクティビティやワークシートを作るとなれば、
必然的にルビつきようも作成しなければいけない。これもプラス10分以上は必要だ。
それなのにこれからは会計だなどとふざけた発言は聞き捨てならない。
これは私がすっかり優先順位がとんでいたところに落ち度があるのだが、
正直ここ数週間は仕事A〜G全てにいっぱいいっぱいだった。どこかで何時間か残業すればできたがそれをやる気はかった。
副校長に呼び出され、「金曜日ではなく明日の水曜日の午前中までに出せる?」ときかれた。
水曜日は6限中5限授業で 1限分の空き時間は授業準備にも使いたいなぁと考えて「微妙です」と答え
小会議室に連れてこられた。怒られた。繰り返しだが、私のスケジューリングが甘かったところもある。
「間に合わなかった場合どうするのか」と聞かれて、「間に合わなかったら間に合いません」という旨で返したのが副校長の怒りを買ったのだろう。
有無を言わせず残業させれらた。
おそらく、副校長も私と同じように上から怒られるのだろう。申し訳ない、、、が
間に合わないものは間に合わない。直径3センチの穴に一辺が5センチの正方形の筒を通せと言っているようなものだ。
「通せなかったらどうするの?」と言われているようなものだ。通せないものは通せない。
おそらく、多くの方は「なにをいまさら。もっと忙しいところはいくらでもある」と思うだろう。
それでも私はそれに流されたいと一切思わない。
エヴァンゲリオン放送当時、とある高専というオタク多めの環境だと映る地域住まいの生徒がオンエア録ったVHSテープが
クラスの中で回覧されたり回覧からのダビングでどんどんテープ増えたり学校併設の寮の談話室で毎夜上映会してたりとかだったので
これは情報交換としてであって、なぜこの3人を選んだかだけ。もちろんいい悪いは主観に属するものだから一致はしなくて構わんと思ってる。
なんならきみが、瞑想についていい人間をピックアップしてその理由を教えてくれると嬉しい。
ただ、悪いけど、瞑想についてのやり方がうまいとか、あまり古すぎる人間(僕があげるのなら一休宗純、白隠禅師)は、いざ苦しみを逃れる点では、どうかなと思ったからあげなかったのもある。
慢の感情にきちんと触れているから。慢の感情は承認欲求と結びつき現代社会において非常に陥り、苦しみやすい。2者とも実際苦しんで悟った人間だからな。
これは野口誠一氏の本になるが、実際苦しんだ人間じゃないと、他人を救えないという考えがある。地涌の菩薩という。まあ、自分で調べてみて地涌の菩薩は創価臭いのがあれだが、、、。
久賀谷亮
読みやすいようにはしているが、一応科学文献の参照もあるから。
瞑想は仏教という宗教由来のもの。で、宗教は昔のなんとなく正しい物詰め合わせだと思ってる。瞑想は科学的検証なんて無い時代に生まれたもの。
マインドフルネスは、脳内スキャンができるようになって一部は科学的検証が出来るようになった時代の産物だと思ってる。
と同時に、宗教の名を語り、実際は弱った人間に漬け込んで依存させるタイプの霊感商法も多い。瞑想だのヨガだのを隠れ蓑にしてそういう団体がうごめいている。
だから、科学文献を根拠にしているこの本を出した。正直、もう今の時代本だけでいいと思う。瞑想を取り巻く団体の胡散臭さを考えれば本だけがいい。
見た目もかわいいし、何よりも中身が良いのだ
モデルがえっちい?とは思わないけどそう思ったなら別にいいですよ
頭が弱いわけじゃないと思うけど、その結果として生み出される「お母さんが話してる」感はすごい
誰が声かけんねん、誰や誰や、という無言のシャドーボクシングの中、おかいけーい(>_<)
退店後のリトルファス。
となりのおっさんが言う。
「いっぱい飲ませたら行けんねんけどな」
可愛い子って得だよね〜