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社会学のスタートって「物理学」や「生物学」の「科学的手法」を手本にして、社会を科学的に考えようって話だったと思う。
それが今では社会学者の論文は客観性が担保されてない、お気持ち学問で査読論文なんてありませんし、ありえませんってことに。
社会学で学部レベルでもカリキュラムで一番大事にされるのが「統計学」。
社会を客観的に調べましょう、知りましょうってのが、社会学の基本なので調査のない社会学なんてない。
でも、統計学って数学使うでしょ。数学の基礎の基礎だけど。でもド文系の社会学徒は理解できないんですよ。
そーするとカルチュラル・スタディーズとか「質的な調査」に逃げるんですよ。誰でもそれっぽい話が書けるんで。お金もかからないし。
それで書けて「なんか上手いこと書けた」とか思ったアホが修士行ってゴミを量産するんです。そしてそのまま就職できずに博論も出せずに置物になるんです。
運良く博論が出せて人づきあいが良かったりボスが良い人だったり上がいきなり人生ドロップアウトしたりすると大学教授になれたりします。
社会学系のキャリアは、研究内容が奇抜で変だからこそのおもしろ枠もあるし、地域枠で地域密着研究者ってのもあるし、単純な学問的な業績よりは「社会的な業績」が加味されます。
だから、まぁ、社会学の教授に査読付き英語論文が必要かと言えば、別にいらないかな。
社会学は基本的に手続きの学問で、ちゃんと調査しましょう、ちゃんと開かれた議論が出来るように論文を書きましょうっていう学問です。
自分の研究フィールドがしっかりしていて、調査・研究も継続して予算もしっかり取れて横着せずに最新の理論と研究内容をフォローしてるなら大学教授やってて問題なしでしょ。
まっとうな教授が素人にねちねち言われる一方で官僚や自衛隊は階級だけで教授様なんだから完全におかしい 論文が詐欺だらけになるはずだ
学問ではないな、学問では。
とりあえず一緒にしないで by 経済学徒