2018年09月29日の日記

2018-09-29

anond:20180929235514

その通り。

人間自分コントロール外のことに力を注ぎすぎなんだ。

もしそれを改善するにしても根回しや他者の協力があった方がうまくいくと思わないか

少なくとも一人でかかずるべき問題じゃない。これは自分コントロール内の問題だと確信できる問題に全力を注いだ方がいい。

[]

豚の丸焼き食べた

中にいっぱい別のオカズがつまってる北京ダックみたいな感じのやつだった

anond:20180929235422

こういっちゃなんだけど、母親としては

「欠陥品」の息子(娘?)を生んでしまったと認めたくないんだと思うよ。

anond:20180929235606

婆といっても本人の謙遜程度の年齢なら見てみたい

相対的貧困という概念

少なくとも私の記憶が正しければ、世間的にはゼロ年代前半くらいまでは「日本貧困問題など存在しない」みたいな風潮だったと思う。

なんでそんなこと覚えてるかというと、その当時メンヘラ界隈論壇で頭角を現してきてた雨宮処凛ヲチしてて、彼女相対的貧困について言及しはじめた05年くらいから度々その記事を読んでたから。

当時に比べれば、ワーキングプアとかの問題が取り上げられて可視化されてる分マシだが、可視化されたところでいっこう解決しないしな…

anond:20180929235422

笑っていいのかは分からないけど

ここまで来ると笑うしかいねwwwww

anond:20180929235358

第三のチンパンジーにその辺が詳しく書いてある。

どう考えても非効率な事をやるのは、それをやって余りあるということのアピールだと。

わざと捕食者の前でピョンピョンする動物とか。

それが何故人は体に悪い酒やタバコをやるのかという話に繋がって興味深かった。

マニューバという言葉を見ると脳が魔乳婆と漢字変換するおかし

anond:20180929234734

やりたい事あってそれは良かった。京大ならそれなりじゃないか

俺はやりたいことあっても出来ないから羨ましいよ。

冷静に外部原因を分析できたら、それは結構だ。自分じゃどうしようもない領域に線引きができてるという事だからな。

ただその姿勢もなしに外因を探索したとする。現状が恵まれず不満があって何かのせいにしたくなったとき容易にあるかもしれない外因に

その原因を求めるようになる。それは生きていく上で、生産性のない考え方だ。人生の残り時間カウントしつつ有意義な事に

時間を使った方がいい。半ば自分に言い聞かせながらのコメントだった。

さっき思い付いたワード

「すけべかつエッチ・・・

anond:20180929234753

いいことに気づいたね。

クジャクの綺麗なオスがメスにモテるのは、見た目が綺麗だからじゃない。

生存に役立たない羽の色に余興として注いでも困らないほどの豊かな生命力を持っているからだ。

anond:20180929165823

私が囲碁を学んだ過程を基に、どのようにして最低限囲碁を成り立たせれるレベルにまで向かうのかを書いてみたい。

囲碁ルールと実際の対局での手筋の間に、深くて暗い谷があるのではないかと思う。

ルールをどれだけ読んだとしても、対局時にどのような手を打つべきかを、ルール論理的に教えてくれない。

なのでルールを知っているのは前提だけれども、わからないなりに対局をこなすしかないような気がする。

うちではじいちゃんに教えてもらったのだけれど(正確にはじいちゃんが撮りためたNHK囲碁番組ビデオルールを学んだ)

じいちゃんルールや定石などについては何も教えず、ただただ「対局しよう」とだけ言って、私はわけわからんなりに囲碁を打っていた。

たまに「それはいい手やな」と言ってくれるのが嬉しかったのはよく覚えている。

囲碁では置いた石でより多くの陣地を囲むことが必要だが、交互に同じ数の手を打っていく以上

より広い陣地をより手を抜いて確保することが必要になる。

ルールとしては単純な話ではあるが(常人では)ルールの延長からどのような手をうつべきか知ることはとても難しく、

試行錯誤の末にあの手はよかった、あれはまずかったと身をもって知ることがまず最初の一歩ではないかと思う。

例えば走り幅跳びの飛距離を伸ばしたいとしても、物理法則から足の動かし方を考えることはしないだろう。それと同じ話。

陣地をより少ない手で確保するため手を抜くことも大切なのだが、囲碁は対戦競技であり相手攻撃することができる。

相手の石を全て囲うことで、石を取ることができる)

数が多ければいい、というわけではないが、基本的には数の多さは強さに繋がる。(石の厚み、というのはこの強さに関係している)

うまく手を抜くことで、石は広い範囲を覆うことができるが、手を抜いた石は弱い。

下手をすると、手を抜いた石は相手攻撃に耐えきれず、すべて相手に奪われてしまう。

囲碁をより広い家を建てたもの勝利するゲームと考えると、プレイヤーが序盤で外壁の塗装に手数をかけることは良い戦略ではなく、

まずは空き地に家の基礎となる柱を立てて家の骨格を築いていくべきだろう。囲碁は碁盤という限られたスペースで戦う。

あなたが1軒の家の外壁を固めている間に、相手が3軒分の基礎を固めてしまっているならば、もうそこで勝負はもう決まっているだろう。

どこまで手を抜けるか?というさじ加減が重要で結局は実践の中でしか身につかないのかと思う。

その強さが話題になったAIが強いのも、結局膨大なトライエラーを経ているから。

これらの勘所をまとめたものが「定石」と呼ばれる。どのように打つことが効率的であるかは、すでにある程度定型化されている。

囲碁のとっかかりがつかめない人に向けて書いたつもりではあるが、何か分からないようなそんな記事になった。

また質問があれば答えたい。

anond:20180929165823

私が囲碁を学んだ過程を基に、どのようにして最低限囲碁を成り立たせれるレベルにまで向かうのかを書いてみたい。

囲碁ルールと実際の対局での手筋の間に、深くて暗い谷があるのではないかと思う。

ルールをどれだけ読んだとしても、対局時にどのような手を打つべきかを、ルール論理的に教えてくれない。

なのでルールを知っているのは前提だけれども、わからないなりに対局をこなすしかないような気がする。

うちではじいちゃんに教えてもらったのだけれど(正確にはじいちゃんが撮りためたNHK囲碁番組ビデオルールを学んだ)

じいちゃんルールや定石などについては何も教えず、ただただ「対局しよう」とだけ言って、私はわけわからんなりに囲碁を打っていた。

たまに「それはいい手やな」と言ってくれるのが嬉しかったのはよく覚えている。

囲碁では置いた石でより多くの陣地を囲むことが必要だが、交互に同じ数の手を打っていく以上

より広い陣地をより手を抜いて確保することが必要になる。

ルールとしては単純な話ではあるが(常人では)ルールの延長からどのような手をうつべきか知ることはとても難しく、

試行錯誤の末にあの手はよかった、あれはまずかったと身をもって知ることがまず最初の一歩ではないかと思う。

例えば走り幅跳びの飛距離を伸ばしたいとしても、物理法則から足の動かし方を考えることはしないだろう。それと同じ話。

陣地をより少ない手で確保するため手を抜くことも大切なのだが、囲碁は対戦競技であり相手攻撃することができる。

相手の石を全て囲うことで、石を取ることができる)

数が多ければいい、というわけではないが、基本的には数の多さは強さに繋がる。(石の厚み、というのはこの強さに関係している)

うまく手を抜くことで、石は広い範囲を覆うことができるが、手を抜いた石は弱い。

下手をすると、手を抜いた石は相手攻撃に耐えきれず、すべて相手に奪われてしまう。

囲碁をより広い家を建てたもの勝利するゲームと考えると、プレイヤーが序盤で外壁の塗装に手数をかけることは良い戦略ではなく、

まずは空き地に家の基礎となる柱を立てて家の骨格を築いていくべきだろう。囲碁は碁盤という限られたスペースで戦う。

あなたが1軒の家の外壁を固めている間に、相手が3軒分の基礎を固めてしまっているならば、もうそこで勝負はもう決まっているだろう。

どこまで手を抜けるか?というさじ加減が重要で結局は実践の中でしか身につかないのかと思う。

その強さが話題になったAIが強いのも、結局膨大なトライエラーを経ているから。

これらの勘所をまとめたものが「定石」と呼ばれる。どのように打つことが効率的であるかは、すでにある程度定型化されている。

囲碁のとっかかりがつかめない人に向けて書いたつもりではあるが、何か分からないようなそんな記事になった。

また質問があれば答えたい。

ジェネレーションギャップ

ある20代の子は「ドラクエエフエフ会社」と言えば通じるものの、スクウェア・エニックスが元は「スクウェア」と「エニックス」という別々の会社だということを知らなかった。

世紀の大合併(?)してから何年だ?

anond:20180929234542

意味不明ホルモン療法を刑罰として課されて気が狂って自殺したというのが大方の理解だな

anond:20180929234652

KKOの慰み者になるという大切な使命があるから

オタク」になれば誰かにカッコイイと思ってもらえると……

そう信じている奴はいるか?

道を見誤るなよ。

オタクなんて何も格好良くないぞ。

勉強が出来るやつ、運動が出来るやつ、人とうまく話せるやつ、金を稼ぐ手段を持っているやつ、人を助ける実力を持っているやつ、そういうのが本当に格好いいんだ。

格好いいと言われているオタクは、オタクを極めたから格好いいんじゃない

オタク活動という触媒を通してソイツがただオタクであるという以前に何かしらが優れていると判明するから格好いいんだ。

ただ消費を繰り返すだけのオタクは格好良くない。

ガチャに毎月100万円使えるオタクが凄いのは、ガチャに100万円使うことじゃない。

毎月ガチャに使える金を100万円分稼ぐことが凄いんだ。

オタク活動のものなんて格好良くないんだ。

もしお前が求めているのが、人に自分存在価値を認めてもらうことなら、社会において価値保証されているモノを極めて行け。

そこを勘違いしている痛いオタクが今でも沢山いて、おとなになってもその勘違いを終わらせられなかったオタクが多すぎるんだ。


過去の俺にそう伝えておいてくれ、俺はオタクに目覚めてからの20年を、やり直さなければいけない

anond:20180929234326

囲碁投資を絡めて本書いたら売れると思うぞ。元増田は覚えておいてくれ。

売れたら俺にサインくれ。

アラン・チューリングについてのメモ


anond:20180929230408

anond:20180929234322

わざわざ変な例え出さなくても現状の日本が食うには困らない程度に裕福で、で平均年収を見だすと相対的に貧しい。

anond:20180929232829

それでも、視聴数の暴力で強引に上がってくるんだよ。

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