たしかにそうじゃないものもあるんだろう。でも同時にそうであるものも多数ある。
そうじゃないものがひとつでもあるということがどうして批判を完全に封じるだけの力を持っているみたいになっているのか。
3割が「そうである」に該当して、1割が「そうではない」に該当して、残りの6割が「どちらともいえない」に該当すると仮定する。
このとき「そうじゃないほにゃららもある!」勢は1割の存在を取り上げて勝ち誇ってるわけだが、一般的な感覚で見たら「そうである」率のほうが高いので、もちろん「どちらともいえない」勢がもっとも穏当で妥当であるにせよ、「そうであるかそうでないか」の二択を迫られたら、「そうである」という認識になる人は普通に結構いるのでは?
そうでないものもあるということですべてが免罪されるという理屈はよくわからない。というか単純に頭が悪いのか。当然すべてが悪いわけではないが、一定の批判はされるべきではある。
実際はそうじゃない方が圧倒的に多い、ってケースもあるからなあ
このとき「そうじゃないほにゃららもある!」勢は1割の存在を取り上げて勝ち誇ってる そうでないものもあるということですべてが免罪されるという理屈 藁人形
3割が「そうである」に該当して、1割が「そうではない」に該当して、残りの6割が「どちらともいえない」に該当すると仮定する。 そりゃそういう仮定をすればそうなるだろうが、 1...
比率なんて人類全員に聞かなきゃ分からないだろう。 そいつの周りでは「そうである」が多くとも 他のやつの周りで「そうでない」が多い。 それを全部共通にしようという考えが間違...
門外漢が「このカテゴリはこういうほにゃららばっかり」とか言って、専門家から「いや違いますね」って論破されて、「一般的な感覚ではー」とか「極稀な反例ー」とか言って逃げて...