2018-08-20

Mr.インクレディブルを見ていると悲しい気持ちになる

今日風邪で早退した。

タオルケットにくるまって、鼻水をすすりながらネットぽちぽちしている。

怖い話読んで怯えてみたり、

美味しいカルボナーラの作り方を調べてみたり、

最近流行りの映画は何かと調べて見た、特に意味のないことをするのが最高に楽しい

くだらないこと is 人生

ピクサーMr.インクレディブルの続編が公開中らしい。

家族愛テーマに据えたこ作品はそこそこ好評のようだ。

Mr.インクレディブルという映画が、私はあまり好きではない。

嫌いというわけではないけれど、苦手だ。

世の中には、特別な人とそうでない人がいるんだよ。

そういう風に言われている気分になるからだ。

それっぽい言葉で言うと、選民意識ってやつかもしれない。

私がこの映画を見たのはまだ小学生の頃のことで、当時そんな言葉は知らなかったけれど。

前評判も妙なすりこみもないまっさら状態で見て、作品中に流れるそんな空気を感じた。

このことを誰かに言ってもあまり共感されたことはない。

両親に言うと、「はいはいあんたは特別人間だよ」とテキトーに返された。

例えば、保険会社で働くボブは神経質な上司に悩まされ、鬱屈している。

スーパーヒーローだった輝かしい過去を忘れられない。

俺はもっとすごいやつなんだ、こんな身分自分にふさわしくない。

じゃあ、彼の言う、こんな仕事しかできない普通の人たちはいったい何なんだろう。

若い頃、ボブは自分ファンである子供シンドロームを無下にした。

そりゃあ、危険仕事最中だし、仕方ないと思う。

しかし、私には、普通の人が特別な人に並び立ちたいと願ってはいけない、と言っているように見えた。

その後、それが遠因となって大問題となったあとでも、後悔する様子もなければ、謝ることもない。

それから、最終盤、「ゆっくり」走って徒競走で2位になるダッシュ

私が1位の子だったら、妙な手加減されてすごく嫌な気分になると思う。

そもそも、この映画におけるスーパーヒーロの行動原理は良いことをしたい、家族を助けたい、ではなく能力を思う存分使いたいであるように見える。

それは人として当然の欲求かもしれない。特別な力や才能を持つ人は得てしてそう思うものなのかもしれない。

でも、その様子が、「俺は一般人とは違うんだ。こんなやつらとは一緒にしないでくれ」というように描写されると、一般人たる私は何なんだろうな、と悲しい気分になる。

今作におけるヴィランであるシンドロームスーパーヒーローとしての能力を持っていないことも印象的だ。

訴訟を起こし、ヒーロー引退きっかけを作った人物もそうだった。

彼らヒーローたちにとっての敵は、常に好意的でない一般人たちだった。

私は、自分特別人間ではないという自覚がある。

あの物語に私が登場するのだとしたら、すっ転んでモンスターから逃げ遅れたところをヒーローに助けられて、ありがとう!さすが!すごい!という役どころだと思う。

もしくは、冴えない保険会社オフィスにぴったりな冴えないOL

シンドロームにすらなれないだろう。

この映画好きな人自分のことを特別だと、スーパーヒーロー側の人間だと思っているのだろうか。

そちらの方が健全なような気もする。

うがった見方だろうなとも、私が卑屈すぎるだけとも思う。

じゃあ、どういう展開なら納得したんだ、と言われても答えることもできない。

ただ、なんとなく悲しいなあと思う。

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