独身で、「親」になるという気持ちは実感できないまま大人として過ごしている。
そんな私、生まれた頃は保育器に入っていて、退院してからもしょっちゅう病気していて、
命の危険性がある難病を抱えているとかではないけれど、月の半分は熱を出したり、
肺炎にかかったり、喘息っ気があったりと、とにかく病弱な子だった。
中学に上がった頃から随分丈夫にはなったけれど、今でも抵抗力などは弱めで、よく体調を崩す。
なので、ニュースなどで感染症の病気が流行しているなどのニュースを見かけると、
少し不安になって母に「私って○○の予防接種したっけ?」とラインなどで聞くことがある。
母は母子手帳も確認せずに「したよ」「してないと思う」とすぐに返事をしてくれる。
30年ちかく前のことを、時期や病名までしっかり覚えてくれているのだ。
母から返事が来るたびに、ものすごい大きな愛情を感じて、泣きそうになる。むしろちょっと泣いてる。
母にとって私は第一子で、最初の子育てがそんな気の抜けない感じで、きっと大変だったんだろう。
実際、私が覚えている小さい頃の記憶は、外で遊ぶよりも病院の待合室で過ごしていることの方が多いし。
いろんな病気をした。
小学校の授業などで同級生の母子手帳を見る機会があったのだけど、
私の母子手帳は、他の人よりぼろぼろで、ふくらんでいたように思う。
どんな症状が、どんなときに、何をすると出てくるのか。
ぜんぶ書いて、ぜんぶ覚えてくれてたんだろうな。
今でも覚えてるぐらい、何度も何度も考えて、見て、比べて、病院を回ってくれたんだろうな。
私は父が頼りないというか、あまり家にいない人だったので、余計に気が張ってたんだと思う。
物心ついた頃から、「熱が出る=38度後半」というイメージが出来上がってたけど、
母からしたら、小さい子どもがしょっちゅうそんな熱出すなんて心配だったよね。
母は今でも、私のことをすごく心配してくれる。
遠く離れて暮らしていても、ちょっとの変化を聞きつければ、すぐに医者に診るよう促してくれる。
ありがとうお母さん。
私は、本当に母の愛を感じながら生きている。
この、涙が出るほど素敵な愛情を、私も誰かに注いでいきたいものだけど、
本当に申し訳ないけど今のところ兆しなしで、今後もそろそろ厳しいかもしれない。
私も、お母さんのような、素敵な母親になりたいな。
そんな風に思ってたんだけど、ついつい、仕事に没頭してしまったよ。
こんなに元気に働けるようになったのは、お母さんのおかげだよ。
💛
30ならまだまだ大丈夫。これと思った男子には積極的に具体的にアタックすべし。 このアタックのしかたってあんまり系統的に教わらないんだよね
元増田が言うところの「お母さんのような素敵な母親」は専業でないと無理だけど、 普段は30過ぎた専業志望女なんか袋叩きする癖によー言うわ
なんか勝手に藁人形を召喚してるバカがいるな
今日も女は !?