俺は反対だな。
にじよめちゃんって言わば限りなく架空の正体不明な概念だから魅力的なんであって、これがにじよめちゃんの声だってのが出てきたらそれが崩れると思うんだよね。
もしもにじよめちゃんの声として何かが出てくるなら同時に10通りぐらいにじよめちゃんの声が出てきて再び正体不明になるべきだと思うんだよ。
あと、日本国内に居ながらわかることだけど、無料のスマホアプリなどへ、居丈高に「使えないクソアプリ」「ソッコー削除しました」「ゴミです」とか、アプリを作る能力もないのにまあしゃあしゃあとコメントつらねて。
アフィリがしつこいとかウイルス仕込まれたならわかるけど、拙いのかもしれないが無償で良かれと作られたことがわかるアプリにね…恥ずかしいと感じない時点で終わっておるよね。この類を見ていると、日本人(日本人向けアプリ、日本語コメ)のが圧倒的に多い。
なんで?(殺意)
フィクションにはよくあることだけど、主人公の友人がドラえもんばりに有能すぎてもう全部コイツだけでいいんじゃないかなってなる展開は嫌いじゃないけど物語の構成としてはどうかと思うわ。
幸せにはなっていなかった。
勉強嫌いだし要領も悪いので結局仕事の待遇は今よりも良くはなっていなかった。
自分の作りたいものを直接作るよりも今あるツールを組み合わせればいいとハッキリ理解して結局自分の為にコードを書くことは無かった。
ゲームを作りこんでわかったことはゲームはやるほうが楽しいという事だった。
自分がかつてプログラミングに感じていた楽しさは優越感と有能さの証明だった。
中学生の頃の自分がHTMLのベタ打ちや簡単なゲームの製作で感じていた快感は、クラスの大勢の奴らより優れた能力を持っている自分の実感でしかなかった。
公立中学のクラスで1番(実際は他にもこっそりやっている奴がたくさんしてクラスで5番目程度だったのやも知れぬが)程度の知識は、本格的なプログラマーの世界に出たら下っ端も下っ端だ。
それをある日分かったから俺はプログラマーの道を諦め、今の仕事に就いたのだった。
この仕事を長くやって、プログラミングなんてもう10年も書かなくなって(ExcelのマクロやHTMLやWordPress程度のプログラミング未満の何かはちょくちょくやったが)、そうしているうちに少しずつ自分の無能さを忘れていた。
だからいつの間にか「俺は本気を出してプログラミングをやってプログラマーになれば幸せになれていたんだ」と妄想を始めたのだ。
今やっと思い出した。
クラスの連中よりも俺が優れていると感じられる場所が欲しかっただけなんだ。
だから、俺はプログラマーになっても幸せにはなれなかったんだ……。
目が覚めたぜ……悪い夢……いや、良い夢だった。
醒めてしまえばただの夢だ。
現実に戻ろう。
誠意のねえチンポだな
と、今年じゃないいつかの夏に、誰かに言って欲しかったというだけなんだけど。
合格したと思ったら八月中に二次試験があったりしてさ、面接の対策やら実技の対策やら、今年の夏休みはちっとも夏休みなんかではないでしょう。
せっかく授業も保護者対応もないのに、研修の資料作成も指導案作成も教材研究もできないじゃん、と嘆いた時代が自分にもありました。
初任者研修は凄い。一年目の人間を潰そうとしているのかというレベルで凄い。
仕事内容は変わらない。試験勉強ももうしない。でも、出張が多い。つまり自分の時間がガクッと減る。
講師の方が楽だったなと思う。正直思う。
どんだけ頑張っても、むしろ頑張るほど「講師のくせに」って白けた視線向けてくるダレカが一定数いるじゃん。
あれ皆無になった。やってることは同じなのにさ。一年更新を続けてく講師と、正規任用の教諭って、なーんかよくわからん違いがあるみたいだ。
同じ職場の講師仲間がみんな落ちて、自分だけ次の選考に進んだりしてさ。
受かったのに逆に肩身が狭くて、二次対策したいけど職場じゃできないとかさ。
足の引っ張り合いみたいなこともあるかもしれないし、もーやってらんねーってなるかもしれないけどさ。
とりあえず目の前の試験もうちょっとクリアしてみると、見えるものもある、かも、しれない。
勉強できる子もできない子も、生活習慣しっかりしてる子もしてない子も、センセーの話よく聞く子もさっぱり聞かない子も、結局のところさあ、全員めっちゃ可愛いじゃん。
半年ごとの契約更新とか三月に契約が切れることとか教諭の皆様方のお伺いをたてなきゃいけないとかさ、
そういうこと考えないでガッコのセンセーに集中できる。
それはすごいよかったなと思う。
頑張って試験乗り切ってください。
長文を書いたんだ
windowsなら _alloca を覚えよう