エアコンのついてない40℃近い部屋の日向で一時間水が飲めないとか、体育館にたくさん集められるとか、体育で動き回って水分が取れないとか、炎天下で何十分も歩く間どれだけ喉が乾いても持ってる水分を飲めないとしたら命に関わる事態になりやすいと思う。
毎日生徒達が熱中症でバタバタ倒れてるし、すぐに死んだり寝たきりなど障害が残る恐ろしい病気だからリスク回避して、命に関わる過酷を生徒に強いず変える所は変えるべき。
この前の校外学習で死んだ子にしてもそこまで過酷な事はしてないのに死んだわけで、水分補給禁止して通学路で脱水や熱中症で死んでも、立ち止まったり口を怪我したら危険なのでと説明したら解ってもらえて、生徒の自己責任になって責任は問われないって能天気に思ってるのかな。
先生が管理しきれないくらい異常に沢山の生徒を抱えさせられてるのが元凶だよ、金をケチって効率を良くするために子供の命を粗末にするのは駄目だ。
何が違うの?
未来のミライのレビューがネットに次々と挙がっていくので読んでいたのですが、皆さんこの大前提がポロっと抜け落ちているように思います。
それゆえに大抵のレビュアーは「細田守が描きたかったものは何なのか」を想定しようとする時に大きなミスを犯します。
このことは「おおかみこども」「バケモノの子」を見れば明らかでしょう。
中でも「時をかける少女」においては「ケモノ」や「ショタ」への執着心が完全に押し殺されています。
「時かけ」において、細田守監督は自身の執着を完全に押し殺し、最大公約数的な作品作りにつとめその結果として商業的・文化的成功を収めることになります。
その影響により彼は「大衆のための作品作りが出来るアニメ監督」という評価を背負わされることになります。
彼が「時かけ」のあとに制作した「サマーウォーズ」という作品に対して、あまりに大衆向けであることを目指しすぎていて衆愚政治のような匂いが漂っていると感じたことは無いでしょうか?
同時に「サマーウォーズ」の中では、「時かけ」では押し殺されていたはずの「ショタコン」「ケモナー」という氏の2大性癖がスクリーンから見え隠れするシーンが幾度もあります。
この頃から、細田守作品においては「大衆向けの成功」と「個人的な性癖への執着」が熾烈なぶつかりあいを始めます。
「未来のミライ」を評価するのであれば、この事からは絶対に目をそらしてはいけないでしょう。
むしろ、そういった2つの相反するようでありながら混ぜ合わせることが完全には不可能でない願望をどうにかして同時に満たし自分も他人も幸せになれる場所を目指したいという彼の中にある葛藤・願望が強烈に爆発したのが「未来のミライ」であるという見方をすることがベストな可能性すらもあるわけです。
「未来のミライ」について語っておきながら「ショタコン」「ケモノ」といった要素に触れていない文章は、物事のごく狭い面だけしか見ておらず片手落ちもいい所です。
ぶっちゃけ趣味って苦しい思いしてまで執着するようなものじゃないと思うんですよね
作品や周りのファンが何もかも自分の思い通りにならないのが、長々とクソ駄文書くほどに苦しくて苦しくてしょうがないんだったら、
今度二重にするプチ整形をする。自分をより好きになるための単なる自己満なんだけど、整形反対派が多くてびっくり。親からもらった体を傷つけるなんてとか、今のままでも魅力的とか整形することをいうと止められる。私は今の自分が好きだけどもっと目がぱっちりしたらより可愛いな〜と思ってメイク感覚でやるんだけれど、、、。もちろん色々リスクがあるのは承知の上です。人生は一回だからやりたいことぐらいやっちゃダメなの?親友にがっかりしたと言われてショックだった。
帽子もわすれないでね。
全周巡るとけっこうな距離になるけど、見所が多いので飽きない。何時間も歩く体力・歩く癖をつけるのにはちょうどいいと思うぞ。
アイマス周りでも特にクズで鬱陶しいバカがここで愚痴ってるだけだと思うけどね。