悪事を働いていない証拠がないから、悪事を働いていないのに犯人にされる
泣き寝入りに対する恐怖の理由も、冤罪に対する恐怖の理由も似ている。
告発した側が正しいか、告発された側が正しいか、証拠がなくてはわからない。
だから、証拠がない場合、人は自分が属する立場や個人的経験に基づいて告発した側に味方したり、告発された側に味方をしたりする。
しかしながら、証拠がない以上、告発者に味方し続ける人間はどこかで冤罪に加担している可能性があるし、被告発者に味方し続ける人間はどこかで泣き寝入りに加担している可能性がある。
ところでしばらく前にブラックボックス展に対して、損害賠償請求訴訟を行うという動きがあった。
https://togetter.com/li/1184834
ブラックボックス展というのは、中に入るまではどんな展示かわからないが、結局のところ中は真っ暗なだけというイベントだ。
その真っ暗な環境で痴漢行為をされたという被害者が、ブラックボックス展の主催を訴えるという。
痴漢を行った人間ではなく、痴漢が容認されるような状況を作り出し、安全への配慮が欠けていた運営を訴えるというわけだ。
これが有効であるなら、上のような泣き寝入りの恐怖と冤罪の恐怖が併存した状況に対しても、その状況を作り出した側を批判することでこそ、状況を改善できる未来が見込めるのかもしれない。
冤罪におびえている側も、泣き寝入りを強制したいわけではない。泣き寝入りにおびえている側も、冤罪を強制したいわけではない。
本当に悪いのは加害者だが、目下対処をすべてきポイントは、両者をおびえさせるような状況を作り出しているさまざまな仕組みの側にあるのではないだろうか。