20年前にはAndroid StudioもInteliJもなかったからだと思うぞ
いま中央線、人身ですって。
中央線 高尾~西八王子駅間で人身事故「車両点検から人身。踏切で轢いた」
わかる、他人と無用な軋轢作りたくないし。自分に想定外の被害が及びそうな気もして怖いよ。
削除できるとしても、いちいち削除するのはアホみたいだし
やっぱり、あえて誤解される事を選ぶしかないのかもしれない、でも誤解される確率を下げる注意をしながら。
前世紀から実測感覚値としてさほど変わらないものにHDDのアクセス速度がある
どんなにCPUとメモリが速くてもこれが律速になる(昨今はセキュリティ防御機構も効いてる)
えっ容量問題?知らんな
以上
子供たちはAndroid開発とかやらないと思うぞ…。ビジュアルプログラミングとかで、ロジックの組み方学ぶとかだろう。
そしてなんでAndroid studio使わないの?
目が腐ってるやつにはそう見えるらしい
マジかよ やば
意味のある自殺というと、自爆テロとかハンガーストライキみたいなのを考えてしまうな。
そうか、研究室で脳に器具付けて死の瞬間を観測する。主体は自分ではないが、それだと意味があるだろうか。
なんかギロチンで頭落とされた時にまばたき続けた人みたいになってきたな
こんばんは、猫です。残念ですが、あなたのようなヒトによる書き起こしからは、その意図を正確に翻訳することが難しいです。
理由として、あなたには「みゃう~なあう~」と聞こえているそうですが、実際は「っなぁあぁみゃうぅるっつぅなぁああぅううるるっ(この空はいいね、それは好きか?、の意)」かもしれませんし、「むぅうみゃぁぁうーっふ、んなぁぁうーっふ(夢に出てきたのはお前か?、良かったぞ、の意)」かもしれません。ヒトは2万ヘルツまで聞き取るそうですが、私達のそれは10万ヘルツです。ゆめゆめ、あなたに聞こえているものが全てだとは思われませんよう。この世には、目に見えない、耳に聞こえない事柄も在る故、「各自の定める『在る』こそ無い」という理のみが真実なのです。
ところで私たち猫は元来、人目につかない場所で目を閉じてじっとすることが好きです。まわりの音が四方から絶え間なく聞こえ、私が居ても居なくても、世界は変わらずに動き続けていくことを実感できるからです。それはすなわち、私がいつこの世界から消えても大丈夫という許しです。私は自由である。そう思うたび、体の中を風が通り抜けるような荒涼とした穏やかさを得て生きてきました。
けれど、ふとした拍子にヒトに飼われ、毎晩呼ばれる名前や、気持ちいいペースで撫でられ続けるお腹、優しく切られる前足の爪、季節ごとに設えられる快適な寝床、そういったものに愛着を感じるようになると、困ります。世界に責任を持たず、始まりも終わりもないような自由な存在でいることを誇らしく感じていたのに、今となってはあなたの世界の一部でありたいと思うし、その責任を負いたいとすら願っています。あなたが帰ってきたら思わず駆け寄ってしまうのです。
ソロモンの指輪があれば会話を通じて分かり合えるのにと悩んだ時期もありました。しかし、猫同士であれヒトと猫であれ、自己と他者は一生分かり合えないからこそ、そこに配慮や傾聴が生まれ、真に大切なことはそれら行為そのものだと気がついたわけです。さて、その気づきを元に、あなたの猫の気持ちを汲み取ってみましょう。前半の「みゃう〜」はヒトの言葉で「(あなたが)居た/在った」という発見、後半の「なあう〜」は「良い/好ましい」という感情だと思われます。つまり、彼or彼女は、あなたが好きだということです。