私が初めてしんちゃんをテレビで観た記憶は、おそらく私の最古の記憶でもある。
でも、話の内容は全く覚えていない。エンディングの映像と曲(米村裕美『素直になりたい』)が妙に心に残っている。
その頃私はたぶん5歳かそこらで、しんちゃんとほぼ同い年。
ウチはそこそこお堅い家庭で、テレビは基本的にNHK、民放はせいぜい動物モノの番組ぐらいだったけど、ドラえもんとしんちゃんは許されてた。
それどころか(アニメと比較して下ネタも多い)原作も読書家である母親がほぼ全巻揃えてたのである。当時は2000年代以降のような再評価の流れもなく、普通に子どもに観せたくない番組筆頭だったはずだが、母なりになにか感じるものがあったのだろうか。
そして私はしんちゃんに夢中になった、というわけでもなく、しかし我が家には漫画本といえばしんちゃんしかないので、暇な時間はとりあえずしんちゃん。毎週一回のアニメ(今は金曜日だが昔は月曜日に放送してた気がする)も、どうしても観たいというわけでもないが、とりあえず観る。
ただ当たり前のようにしんちゃんは私の生活の中に存在していた。私が中学、高校、大学と進み、成人しても、しんちゃんは5歳児の姿のままで…
そんな私も、しんちゃんからしばらく離れた時期もあった。大学在学中に、家出同然で実家を飛び出した。
想像を絶する極貧生活の中で、漫画を読むどころではないし、仕事の都合でテレビ放送も観ることができない。
とはいえ熱心なしんちゃんマニアというわけでもないため、それを特段意識はしてなかったのだが。
そういえば原作者が亡くなられたのはこの頃だろうか。もうしんちゃんの新作は二度と読めないという事実に、なんとも寂しい気持ちになったことを覚えている。
でも、アニメの制作に関わる方々や、偉大な声優さんは、しんちゃんを生かし続けた。オトナの事情という側面はあるかもしれない。私だって当時は複雑な気持ちにもなった。でも今は…
その後、ひょんなことから、私はとある国から来た留学生の子と付き合うことになる。
しんちゃんが好きで、日本に来てすぐ春日部に行ってみたら、何もなくて驚いたのだという。
別にそれがきっかけというわけではないが、しんちゃんが好きな人とならきっと上手くやれるだろうな、とは思った。
少しずつ生活に余裕が生まれ、いつもではないが、時々、ご飯を食べながら一緒にしんちゃんを観るのだ。私は31歳になった。でも、しんちゃんは、野原家は、幼稚園も、かすかべ防衛隊も…変わらない。いや、妹が生まれたり、先生が増えたり、ネネちゃんが凶暴になったり、ちょっとした(?)変化はあったけど。
自分が子どもの頃から変わらずに、生きて存在し続けているものがある、それがどれほど喜ばしいことか!
実家には何年も帰っていない。でも、しんちゃんの声を聴くたびに、ちょっとホッとして、まるで、帰りたい場所に帰ってきたような気持ちになる。
それは、本当に偉大な仕事だと思う。
火垂るの墓って子供の頃は節子の立場で見るけれど、年をとり親にもなるとおばさんの立場でも見るようになるなって思った。
それぞれが精一杯やって、それでどうしても歪んでしまうものってあるんだなと人間の悲しさみたいなものを感じる。
よほどの聖人でも無ければ、「やっかいなものを押しつけられた」と思うと思う。
原作者は互いに平等に飲んでいるように見せて、スープを掬う時にどうしても節子には水分ばっかりになるようにすくってしまうと言っていたけれど、
おばさんもまさにそういうことをしているように見える。
悔しくて悲しくてふがいなくてやりきれないけど自分の甘さが招いた事態だから仕方ないな
それでも甘さを指摘されるまで気付かなかったのはほんとだめだった
もうだめなのかなぁ、ここまでいけて がんばって いろんな人応援してくれたのに
絶望的になってから ああここ行きたかったんだと気づかされて ばかみたいだ
バカは死んでも治らないんだな
就職なんて縁だよというけど、自分は自らその縁をぶった切るようなことをしたんだ
ばかだなぁ ばかすぎてどうしようもないよ
そんなに自分を責めるなとも言われるし、卑屈になるなとも言われるけど
かりにやらかさなくて、それで落ちたとしても納得できた
本気の姿勢になれなかった自分がほんとうに愚かだし どうしようもない
そりゃ大人の人もあきれるよな
それでも何とかなるんじゃないかって 甘えて思っちゃうのがダメなんだろうな
言われたこと思い出す度悔しくて
自分の居場所はこの会社にあるんじゃないかって思ってたから ほんとどうすればいいのかなぁ
くよくよするのが悪いってのはわかってる 負のスパイラルだこのままじゃ
豆!じっちゃかわいい☺️
高プロが可決した。
でも、のらりくらりしていればかわせてしまう。
何故か?
対抗が居ないからだ。
何故対抗が居ない?
どんなに自民がダメだって他よりはマシとかよくわからない理論で勝ってしまう。
全くの新人がこの民主主義で何か変えられるか?誰が信じるか?信じたとしても少子高齢化で母数も足りゃしない。
途中の政権交代だって自民離脱者だったが、最早自民を離脱してまで自分の考えを貫こうなどと考える人がいるとも思えない。
今だってこんなにゴタゴタしているのに自浄作用が働かない、今の野党が信を得られる力がないし、倒幕せざるを得ないようなほどに新しい勢力が何かできるほどには混沌としていない。(武)力こそ正義な時代ではない。献金と既得権益の力が正義だ。
完全に詰んでいる。
大人は逃げ切りを選び、希望を知らない若者は変革の方法も知らぬまま、そして滅びの時まで自民しか選択肢がないと悪循環が続くのだろう。
荷物持ったりとかする
人生の中のどこでそれを学ぶんだろう。
実際男の全力を体験する機会なんて、当の男でさえほとんどない。
知識としては男の方が筋力が強いと知っていても、じつは運次第では勝てるくらいの差しかないかもしれないとは思わないのだろうか。
何書いてもフォロワー増えないし、たまに何か書いたらうざいこと書いてしまったのか自治厨に怒られるし、ブログもつまらないこと毎日書いてるんだけど、ブログは誰にも怒られずに書いていいよね?
つまらないこと書いちゃ駄目?良いよね?ゴミみたいなこと毎日書いていいよね?たまにうぬぼれのようなうざいこと書いちゃってるかもしれないけどブログなら「嫌なら見るな」で良いラインだよね?それともブログでもうざいこと書いてたらいけないの?うざいことわざと書くんじゃないよ、素がうざいんだよたぶん。わからないけど
何様だこいつ
OculusGO買えよ
かわんご氏のツイッターに対するブコメでまったく具体的な内容に触れずに人格否定だけしているのはさすがにひどいと思う。
正当な批判をしていると私が感じるブコメについてもかなり攻撃性が高いものが多いと感じた。
件の増田も、通報の原因となったIDコールについては批判の内容よりも行き過ぎた罵倒が問題であったわけで(丁寧かつ攻撃性を伴わないものであれば批判が間違っていたとしても恐怖を与えることなく通報の対象にもなりにくかったのではないか。もちろん執拗さも抑える必要はあるが)、かわんご氏に対するブコメの攻撃性はそこまでいかずとも道の途中なのではないかと感じてしまう。
これがいじめであるとは言わないが、いじめの色はなるべく薄め、正当な批判の色を濃くしていくべきというのが多数派なのではないかと思うがいかがだろうか。
一時的に感情的になってしまっても、できればブコメの訂正や削除をしていただき、間違ったら訂正し、それを責めないという空気がはてなブックマークで醸成されたらいいのではないか。
今自分は恋をしている。
恋をしていると言っても完全な一方通行で、いつもその人を見かけては勝手にドキドキしたり運よく話せると1日嬉しくなったり、30を越えているというのにまるで中学生のような片思いをしている。
テレビや漫画では恋は良いもので素敵で、その気持ちは大切にしていいと大抵話している。でも自分の場合は絶対に違う。なぜなら、自分は既婚者で夫と子供がいるからである。
詳しい定義はわからないけれど、きっとこの状況は不倫とは呼ばないけれど浮気ではあるんだろう。家庭に不満はなく夫のことも息子のことも大好きだけど、それはほぼ家族愛に近くなってしまったのかもしれない。特に不倫という行為自体に興味があるというわけでもない。だけど何故だか、理屈抜きでとてつもなく好きな人が出来てしまった。
好きになってからやや一年ほどたつけれど、このことは当たり前に誰にも話せていない。
家族に申し訳がなさすぎて自己嫌悪が酷く、嫌いになろうと相手の嫌なところを沢山探したがうまくいかなかった。
それならば好きになってはいけないという背徳感に酔っているだけなのでは?と思い逆に気持ちを肯定して好きな人がいる生活を楽しもうともしてみたが、そんな空元気も長くは続かなかった。
それからはずっと、好きな人を見るとバカみたいに元気になるくせにいつもぼんやりと罪悪感をもっているまま生活するようになった。
世の中では恋愛は理屈ではないという意見が多くを占めている。理論で説明できないのが恋で、頭で考えてパートナーを選ぶのは打算的だという風潮ですらある。恋で検索すると、苦しいけれど辛いときもあるけれどそれはとても素敵なことという意見が沢山出てくる。
ただし、それに「既婚」とつけると当たり前だが世間の反応は180度変わってくる。
文春が猛威をふるっているのを見ても、一般的に不倫はかなり許されない悪とされているのだろうなと感じる。こんなことを書いている自分も、もしも夫が他の人と恋愛をしていたら悲しいし辛い。なのに自分には好きな人がいるのだ。
誰にも相談できないことが辛く、以前匿名チャットで一度だけ見知らぬ人に対して恋をしていることを打ち明けたことがあった。すてきだね、応援するよ、どんな人なの?と沢山質問されたが、こちらが「実は私は既婚者なんです」と話すと「不倫は応援できません」という一言を残してチャットは切断された。
不倫はしていないしそんなことになることはほぼ100%ありえないと思っているが、万が一相手が好意に答えてくれたとして、それをはねのけられるのか?と考えてみると自信がなかった。だからもうこれは不倫しているようなものなのかもしれない、と思っている。
先日友人の結婚式に出席した際に、永遠の愛を誓い合う2人を見て永遠の愛とはなんだろうか?と考えてしまった。一生同じ相手を好きでいられるなんて確約どこにあるのだろうか?私だって本当は、同じ相手を一生好きでいたかった。
こんな日記を書いてしまったけど、私は不倫を肯定するわけでも結婚を否定するわけでもない。ただ、大好きな人がいることをどこかで言いたかっただけなのもしれない。
早くこの恋が終わりますように。
AppleTVとかAndroidTVとかFireTV、ついでにChromecastとかFireTV Stickとか
でも気の迷いでChromecastを買っちゃったんす
いやなんかその……めっちゃ便利っす……
世の中に「最近地上波なんか観ないから」って言う兄ちゃん姉ちゃん増えたじゃないっすか?
「NetflixとかAmazonPrimeVideoとかTED観てます」
ハハッなに言ってるんだ、この意識高い系(笑)はと思ってましたわ
Chromecast買ったらね観るんすよ、ネット動画をたくさん観ちゃうんす
いつでも好きな動画を好きな時間帯で好きなシーンから観ちゃうんす
いや〜これっ!広告に偽りねぇなぁと!