学校での教育以外は水泳、音楽制作や楽器での演奏、デジタルイラスト、簡単なPC改造と考えても遊びの延長戦ばかりだ
最近問題視されてるキレて他人に殺意を抱くことだったり、折角偏差値の高い大学に行っても酷い有様を見てしまうとこういった人間には生きがいがちゃんとあるのか思ってしまう
自分も人間関係が上手くはないが、かつては他人と肩並べてやろうと努めた時があった
しかし、それは自分が思ってやっても相手に向けてみると鬱陶しい対応と感じさせてしまった
「結局俺なんてやる気のない奴等の的にしやすい餌だったのかもしれない」と不信に駆られていたのが学生時代だった
その日から大学に行くことが億劫になり貯金を切り崩しながら展示会を見に外出したり、これまでに止めていたことを再び始めてみた
勿論自分にとって嫌な存在とは無関係な環境ばかりだったのでむしろ生き生きしていた
多少不摂生になったりしていたが、思考停止することがなかったと思う
そうやって離れて生きていく内に将来や夢について希望を持つようになったが、現実はそう甘くない
この世界で生きている限り大学を出たサラリーマンでしか生きがいを見出せないのかもしれない
例え自分一人で何か出来たとしても集団社会の日本でそんなことは通用しない
前々から興味があり、ホリエモンの書籍をいくつか購入しざっくりと読んでいた時期があった
その時に「自分は周りの変な空気に押されて洗脳されていたのかもしれない」と思ったのだ
小学生の頃から自由に生きていたが、それが段々進学するにつれて停滞してしまった期間が高校卒業まで延びてしまった
だが、成人を迎えて多少の自由と広く見る思考が増えた結果、この年になって昔出来なかった事をしようと徐々に追いついていこうとしている感じがある
これが良いのかどうか分からないが堀江氏の言う没頭する力に繋がっているのかもしれない
自分は普通の人とは違った生き方になるかもしれないが、唯一の幸せと常に好奇心を掻き立てられるよう今日もやりたいことに純粋になろうと思う