壮大なタイトルにしてしまったので、それ相応のことを書かないといけない。愛ってどういうことかなあと考える機会があったのでつらつらと自分の見解を記しておきます。
わたしは基本的に全人類が好きです。博愛主義の水瓶座なので!だれがいちばん好きかということは、あんまり考えたことがない。そもそも愛に順位をつけること自体、ちがうんじゃないかな?とおもっています。気持ちはわかるのだけれど。なのでわたしの中で人間は9.9割の好きな人と0.1割の苦手な人に分けられてしまう。ほんとうに大雑把な区分だとおもうけれど、これが本音です(苦手な人は可能なかぎりわたしの世界から排除するので、そうするといよいよ好きな人ばかりになってしまう)それから、わたしはわたしの好きだという思いを許されることに快感を覚える性質なので、向けた愛を同じだけ返してほしい!という感情もほとんどないのです。向けさせてくれただけでありがとうとおもっている。返してくれたら幸福だけれど。あ、恋は別ですよ。恋は恋なので。
でも、当たり前にそうではない人も存在する。愛しただけ愛されたいと願う人たちがどこかにいるんですよね。それはすごいことだなあとおもう。わたしは昔、友達に「だれのことも好きな人はほんとうはだれのことも好きではないんだよ」と言われたことがあります。わたしはたぶん、だれのことも好きではないのかもしれない。ぞっとする想像なので普段はつとめて考えないようにしているのですけれど。
たしかにそれは一理あるとおもうのです。わたしは思春期を過ぎてから自分が好きな人が他の人と仲良くしていて嫉妬を覚えるようなこと、めったにありませんし、わたしをだれよりも優先してくれという願いもありません。そんな自分のことがさみしい人間のような気がして泣きたくなる夜もあります。最近、優しいと言われることが増えたのだけれど、わたしが優しいのはだれのことも好きで、だれのことも好きではないからそう映るだけじゃないですか?すべての人を平等に見ていたらだれにだって同じ扱いができます。わたしはそのことを知っています。
自分をいちばんにしてほしいと言ってくださる方がありがたいことにちらほらといて、それでも応えられないことをくるしくおもっています。でも、しかたないんだ!わたしは全人類を愛する自分が好きなのです。自己陶酔。それはわたしにとってだれに侵すこともできない誇りで、大切なことだから。冷たい人間でごめんね。以上!モラトリアムから脱出できていない人間の自己語りでした!
追記
反応が早い!これが増田!
一番じゃなくていいので僕とセックスしてくれませんか?
ところどころ平仮名になってるところがめちゃくちゃ怖い。