第1の理由はもちろん、高級言語の普及により本当にやりたいことだけを書けば良くなってきたことだろう。
コメントを書かない派もCやあるいはアセンブラを書くときはコメントが欲しくなるはず。
それともう一つ、最近のエディタのシンタックスハイライトにも理由があると思う。
Atomのデフォルトのテーマは黒背景で、コメントはグレーで表示される。
背景とコメントのカラーコントラストが小さいので、「コメントの部分は重要でない」という印象を無意識のうちにユーザーに与えていると思う。
自分は適度にコメントを書いたほうがよい、むしろプログラムの見出しの役目を果たすと考えているので、エディタ上でもコメントはもう少し目立つ色にしている(文章でも見出しは本文よりフォントが大きいように)。
むしろ新人の頃は先輩に「最適化って未熟な人間に上手く出来ると思う?出来ないよね?コメントも同じで慣れてくるとコメントも最適化できるようになるから初めのうちはしつこいく...
新人には本当にコメント書いておいて欲しい いちいち聞きに行くの面倒くさい
x++; //xを1増やす
よし
自分でコードを書くとき 備忘録 ToDo(後でリファクタリングしたい箇所の目印) 他人のコードを読むとき 仕様書の代用 マニュアルの代用(ライブラリーの使い方とか) そん...
言われてみたら、コメントをだんだん書かなくなってきている気もする。 命令型のプログラミング言語を使うときは、文芸的プログラミングのように、先に制御構造を擬似コード(コ...
保守しないからではないだろうか。 特に他人が保守しない。 プログラムをそんなに長く使わないのだ。 言語バージョンアップでAPI非推奨になるし、長く保守するより新しく作り直す方...