2018-06-11

100億の男

正確には、「100億の男にしたかった女」の話。

100億の男とは、巷で話題安室なのだが、なぜ過去形かというと、今はもう「100億の男」なんかにならなくていいと思っているからだ。

先日ツイッターで、1回の上映で、1人で3枚のチケットを買っている人を見た。

その人のツイートがTLに流れてきたのではなく、「こういう人がいる」と見かけた人がスクショを撮り、名前アイコンも隠してツイートしたものから、私はその人の名前アイコンも知らない。

名前も知らないその人は、安室透を100億の男にするため、10回の鑑賞で、20〜22枚のチケットを買っているそうだ。

私の意見は、あり得ない。ただこの一言に尽きる。

安室透を100億の男に、というのは、安室透のファンが言い始めたものだと思う。

私もそれに賛成だった。

安室透を好きな人たちが、自分が好きなだけ「ゼロ執行人」という映画を観て、ここが良かった、あそこの場面が好き、ここはこういうことじゃないか?と感想を言い合ったり、考察し合ったり、そういう「好き」の結果が興行収入100億円であるのなら、これほど嬉しいものはないと思っていた。

けれど、現実として、「わざと空席を作る」人がいて、この人は「安室透の登場シーン以外は寝ても構わない」と言う。

これで安室透が100億の男になったとして、それは「好き」が集まった結果だと言えるだろうか?

こういう行為をしているのは、1人だけだと言えるだろうか。他にも同じことをしている人はいるのではないか

安室透は、名探偵コナンという作品は、「わざと空席を作っていい」作品だと思われているということだ。

誰もチケットを買わない、空席があるのとは訳が違う。

私の大好きな安室透は、「その程度の男」だと思われているのだ。1人でチケット複数買って、わざと空席を作って、安室透の登場シーン以外は寝てもいいと思われるような。名探偵コナンという作品が軽んじられているような気がした。

私には、名前も知らないその人の気持ちが分からない。分からなくていいと思う。

けれど、「安室透を好きな人が、好きなだけ映画を観て、その結果100億の男になったら」という夢は、その人に奪われてしまった。

私は夢を失ったし、ショックがあまりにも大きすぎて、大好きな安室透を見ることも、今は少し避けている。

安室透がこのまま100億の男になったら、名前も知らないその人は、自分の手柄だと思うだろう。表には出ていないけれど同じことをしている人も、自分の頑張りで100億の男になったと思うだろう。

私はそれが悔しいし、そう思われるくらいなら、もう100億の男になんてならなくていいと思う。

安室透、100億の男になんてなるな。

100億になんかならなくても、またいつか100億を目指せる時が来る。

目標を達成してそれで終わってしまうより、達成できず目標を見続けられる方がいい。

その時まで私は安室透という男を応援し続けるし、次こそは、夢を実現させたいとも思う。

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