2018-06-05

核兵器

通常兵器核兵器の違いはその威力放射能汚染によるものであり、広島長崎、更には相次ぐ核実験でその威力を思い知った大国冷戦から現代に至るまで「核兵器を使ったら最後報復連鎖世界が終わる」という価値観布教している。

にも関わらず、WW2で日本に核を落としたことについては「戦争を早く終わらせるため」や「米兵の命を守るため」などという正義のもとに正当化されている。

ゲーム映画世界では往々にして「核兵器の発射を阻止せよ」というシチュエーションが出現するが、その場合、核を使おうとしている勢力構造上悪役になるわけだ。しかし、前述した通り、どういう訳か現実のWW2で核を使った国、アメリカはなんら断罪されていない。

アメリカ正義のために使われた核が正しい核なら、テロリスト独裁国家正義によって使われる核も正しい核ということにはならないだろうか。しかし、これはどうもそうはならないらしい。

さて、この違いはどこからまれるのであろうか。一番重要な点として、WW2の時点で核を使えたのがアメリカだけだったことが挙げられる。つまり一方的核兵器を投下することができるから、実際に投下したという訳だ。

それが、ソ連などの新たな敵対国核武装を始めたから、核の恐怖を宣伝し、どこの国も核を使えないようにして、核兵器=悪という価値観を植え付けたというのが実際のところであろう。

次に、通常兵器核兵器の違いを認識しているかどうかという違いも挙げられる。広島長崎以前では、核兵器は単なる「とっても強い新型爆弾」としか認識されていなかったのではないか。それが、実際に投下してみると非人道的兵器だということが世界に知れ渡ったのである。だからアメリカやその他の国も以降では核兵器を使えなくなった。

結局、アメリカ一方的に使えた新型爆弾を投下してみただけに過ぎず、大義名分も後付のものに過ぎず、かといって過去の投下を間違いだと認めるわけにもいかず、現在に至るのである

アメリカは「世界の警察官」を名乗って新たに核武装しようとする国を断罪しようとするならば、まず自分たち過去原爆投下を過ちだと認めて、自分たちの国から率先して核の削減に乗り出さなければ、全く正当性を成しえないと、私はここに断言する。

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