今、世の中では訴えた方の気持ちを尊重しようという流れがある。
様々なハラスメントに対して、それらを行った側の言い分は聞かれず、された(と訴える)側の言い分ざ尊重される。
が、しかし。
された(と訴える)側が、強大なものとされている場合はその例に当てはまらない。
そんな体験をした。
感情を表す語彙力が少なくてなんて言えばいいのかわからないけど…。
法的手段を使えるのであれば、使って社会的に抹消したいレベルで無理な人、界隈がある。
そんな気持ちになった理由は、今となってはもうなんだったか鮮明には覚えていないが、彼らの自分へ対応にあまりも理不尽さやストレスを感じることが多々ありいつしかそうなった。
ひっくるめて無理だ。と説明したのに新しく開拓したところに絡んでくる意味がわからない。
なぜ無理なのか、なぜ関わりたくないのか説明したのに、どう話をしてもこちらが悪者になるように捉えられてしまう意味がわからない。
強く頑丈に見られがちだが実際はそんな事はなくて、くだらない事でよく落ち込む。嫌なことは考えるな。と言われるけどそれができない。
なぜこうなってしまったのか、なぜこんなトラウマを抱える羽目になってしまったのかを考えてしまうことがある。
何かというと思い出しては嗚咽がとまらず虚しく、静かに苛立ちを覚え、ひどい時は胸がざわついて過呼吸にすらなる。
それでも負けずに辞めないのは、まだなし得ていない色んな事があるからなのだが。
たまに負ける。道を見失う。
辞めたいと思ってしまう。
なんの為に頑張って、なんの為に元気を振りまいているのか…。
わからなくなって辛くなる。
この気持ちを分かち合える人がいなくて寂しさを感じる。
こういう事を発信すると、心配されたがりにみえたり、意図せず心配をかけてしまう事がある。
が、心配をかけたいとか、心配されたいとか、いっさい思っていなくて、共感までいかずとも「ツラい気持ちなんだね」と、ただただこの心情を受けとめて、わかろうとして欲しい、認めて欲しいだけなのだ。
道は険しく孤独だ。