2018-06-01

漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか

漫画喫茶女性従業員はなぜ死んだのか

「麻子がいなくなった」

 愛知県名古屋市中川区にある「B」という漫画喫茶店で長年にわたって働いていた加藤麻子(当時41)の両親が、娘の捜索願を愛知県中川警察署に出したのは、2012年5月1日のことである

「B」はフランチャイズチェーンのうちの一店舗で、その年の2月いっぱいでオーナーが替わっていた。それまで経営していた杉本恭教(当時47)は経営権を手放し、別に経営していたラーメン店シフトしていた。妻の杉本香子(当時45)と長男が同区内で経営をしていた。

 麻子の母・江美子が最後に「B」をたずねて、娘に会ったのは、2012年2月25日のことだ。江美子が麻子をたずねた理由は、個人年金等の手続きについて相談をするためだった。愛知県豊田市郊外にある加藤から名古屋市西端位置する中川区の「B」まではクルマで2時間ちかくかかる。

「麻子は私たち夫婦の一人娘です。一度は結婚しましたが離婚しましたし、子どももいません。ですから彼女が将来、おカネの心配をしないですむように、毎月お金が入ってくる民間保険年金基金手続きを今のうちにしておこうと、本人の署名・捺印をもらいに行ったんです。娘が店に来てくれというものですから、私ひとりでクルマ運転して出かけて行ったんですが、あと数分で店に着く頃、麻子から電話があり、『おかあさん、今どこ?』と聞かれたんです。近所の小学校の近くだよと答えると、『じゃあ、(店で)待っとるでね』と言って電話は切れました。私は店に着いて、娘が店の横に停めていたワゴンRの隣に駐車しました

 店は幹線道路に面していて、近隣店舗と共同使用の20~30台は停めることができる駐車スペースがある。麻子は仕事中に休憩を取ったようで、店内のテーブル母親を座らせ、年金書類サインをした。

「私も食べていい?」と麻子が江美子に聞いた。ふたりスパゲティを食べた。江美子はなるべく早く国民年金手帳自分のところに持ってくるように伝え、実家から持ってきたティッシュペーパートイレットペーパー、洗剤等の日用品を娘のクルマに積み替えた。麻子が実家に帰ってくるたびに日用品を持たせていたから、その日もあたり前のように江美子はそうした。江美子はその時点では、2月いっぱいでオーナーが替わることを麻子から告げられてはいない。

 3月19日、江美子が麻子に電話をかけた。麻子が実家を出ていって一人暮らしを始めてから、10年以上にわたって、江美子は、なぜだか常に生活に困窮していた麻子に対し援助を続けてきた。「自立をしてほしい。もう援助をする余裕はない」という主旨の手紙を送ったことも幾度かある。そんなとき麻子はいじけたのか、半年ほど連絡を寄越さなかった。が、江美子は一人娘のことが心配で、経済的自立が困難なら、できるだけ早く実家に帰るように促してもきた。そのとき電話があった直後に十数万円を振り込んだのだが、江美子は店のオーナーが交替すること、そして、麻子自身もあとを追うようにして店を辞めたことを初めて告げられた。

あんた、(生活は)どうしとるの? なんでこの間、(オーナーが替わることを)しゃべらんかったの? いつ、(オーナーが替わることが)わかったの?」と江美子はたずねた。2カ月近く前からわかっていた、と麻子は答えた。店名もそのままで権利を違う人に譲るということだった。

 江美子がふりかえる

「そのとき電話で、麻子も『B』を辞めていたことを知ったんです。常日頃から言っていたことですが、縁もゆかりもない、知っている人もいない土地に娘ひとりでいるなんて、心配心配で仕方がなかったんです。『B』を辞めて、近くにある大きなスーパーマーケットと、これも近所の『I』という喫茶店で働いているとも言っていました。スーパーマーケットではそのうちに正社員にしてくれて、社会保険に入れてもらうけれど、それはもっとあとになってから、とも言っていました」

 江美子や父親加藤太郎にとって、知らない土地にある、漫画喫茶という仕事内容もよくわからないところで10年以上アルバイトを続けることは心配でならなかった。実家に帰ってくるのは数カ月に一度。一刻も早く故郷に帰ってきて、生活を立て直してほしい。そう願い続けてきたが、麻子はその話題を持ち出すと嫌がった。両親もできるだけ麻子の意思尊重したいと思い、力ずくで連れ戻すこともしなかった。口を酸すっぱくして言えば言うほど、麻子の気持ちが離れていく気がしたからだ。きっと、そのうちに何事もなかったかのように、けろっとした顔で親元に帰ってくるのではないか。そんな淡い期待を抱いていた。

 江美子は当時の麻子とのやりとりの断片をメモに残しており、それを見ながら記憶をたぐりよせる。

「『I』では従業員募集する貼り紙でも貼ってあったの? と聞いたんですが、麻子は、そこは学生アルバイトは使わないからというようなことを曖昧に答えるだけで、はっきりと『I』で働きだした理由を言わなかったんです。あとでわかったことですが、そこで以前に働いていたことがあるらしいんです。娘にはそういう不安定生活ピリオドを打って、(故郷に) 帰ってきて、(実家の)隣の家に住めばいいと、ずっと言い続けてきました。でも、そのたびに、ちゃんとしたところで働くからと言って、私たちの願いを聞かないんです。『B』で働いているときも、私が社会保険に入れてもらうように(オーナーに)言ったら? お母さんが直接言うからと言っても、(「B」のオーナーに) 会わせないように、会わせないようにするんです。そういうところも、おかしいと思っていたんです」

「I」のオーナーによれば、近所の同業者である「B」で働いていた麻子の顔は知っていたが、面接をして採用をしたという。時期ははっきりしないが、麻子が「I」で食べきれないほどの料理を一度にオーダーするなど、傍目から意味不明行為をしていたともいう。

「B」を辞めたあと、母は何度も実家に帰るように諭したが聞き入れられなかった。事件後、遺族が警察から教えられたところによると、麻子は大手スーパーで働いた形跡はなく、自宅アパート付近牛丼店で働いていたようだ。しかし、「B」を辞めたあと消息を断つまで、同じ漫画喫茶の「I」で短期間働いていたことは事実だった。

 その電話があった1週間ほどあと、今度は江美子から麻子へ「おカネ、だいじょうぶ?」と電話をかけた。大手スーパー正社員にしてもらえるという言い分に疑問を抱いていたこともあった。

「そうしたら、また、『I』と大手スーパーをかけもちでやっているか心配せんでいいと言うんです。何かあったら(親に)言わなあかんよ、と何度も念を押しました」

 麻子と電話が通じなくなったのはそれからだ。4月に入ってからは、江美子がかけても携帯電話の呼び出し音だけが鳴る日々が続いた。普段から麻子が電話に出ないことはめずらしいことではなかったが、ようやく電話に出たのは4月10日のことだった。やっと通じた電話口で娘をひたすら案じる母親に麻子は、「だいじょうぶだから」としか言わなかった。

  • anond:20180601052604

    明かりのついた部屋にいない  次に江美子が麻子に電話をかけたのが1週間後の4月17日。出ない。それから数日間にわたって何度も電話をかけても呼び出し音は鳴るが、出ない。今...

    • anond:20180601052614

      腑に落ちない出来事の数々  加藤麻子は1970年に名古屋市千種ちぐさ区(当時)の猪子いのこ石いしで生まれ、4歳のときに今の実家がある郊外に引っ越してきた。父・義太郎と母...

      • anond:20180601052636

        「黙秘」を続けるオーナー夫妻  実家を出てからの約10年の間、2~3カ月に一度、長いときは半年に一度ほどしか実家には帰ってこなかった。麻子は帰るときは必ず母親の携帯に電...

      • anond:20180601052636

        遭遇そうぐう

    • anond:20180601052614

      玉たま葱ねぎ

  • anond:20180601052604

    豊とよ田た市

記事への反応(ブックマークコメント)

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん