まだゴミじゃないですーーーー
はてなRSS終了してたんだな
リアルキチを見た思いがする。
有無じゃなくて増えてるんだが
低濃度の低脳です
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20180528/0000355.html
この事件は公務員試験に失敗した被告が曾祖母を道連れに自殺しようと曾祖母を殺した後に自殺を思いとどまった事件で
「先天的な資質に由来する発達障害の特性の一部が動機の形成に大きな影響を与えたことが認められ、被告に有利に考慮すべきだ」として、懲役16年の求刑に対し懲役10年の判決
って話になってるんだけど、ホント困るわ。
知的な遅れがない発達障害者には定型発達者と同程度の責任能力があるし、罪は罪として裁くべきだと思うよ。
何より発達障害と行為を結びつけられると世間がレッテルを張り始めるし社会で死にそうになりながら働いている発達障害者の俺も良い思いはしない。
今ちょうど昭和93年だから団塊の世代は70歳ぐらいなわけね。
つまり団塊の世代の定年退職は民主党政権までにほぼ終わってる、というか、
会社の大小とか個人事業主でもそこまでかわらないと思うけど、Web系のシステム制作をやっていると
こんなシステム作りたいんだけどざっくりいくらぐらいですか?とかこのシステムいくらで作れますか?とかよく聞かれる。
大体どっかの営業経由で話が回ってくるので要件も曖昧だし、話の全貌が全く見えない。。。
似たようなサービス見て、見積もったりするけどそれで金額だすと高かったのかなんなのか音沙汰もなくなることもよくある。
高いなら最初から予算教えてほしいし、いくらでこんなの作れますかっていえば最初の時点でそもそも金額の感覚おかしいとか指摘できるので考える時間が節約できる。
見積もりだって工数かかってて慈善事業じゃないから金払ってほしいレベル。
予算を言わないことは悪だと思う。
外部講師による「成長するために必要なマインド」という題目の講義を受けた。
問題に直面したとき、他責ではなく自責にすることが成長に不可欠だそうだ。
意識高い系だった私は、この講義を受けていた時はすごくギラギラしていたと思う。
この教えを忠実に守っていた。
とは言ってもただの考え方なので、実際に行動に落とし込まないと成長につながらない。
そこで私が辿り着いた行動のは「怒る」ことの封印だった。
怒るということは、自分は正しい、もしくは自分は間違っていない、と主張していることと同義だと思っていた。
自分が間違っていると思いながらも、怒る人なんてそうそういない。
大体のトラブルは、どちらも自分こそが正しいと思いながら怒っているのだと思っていた。
怒るという行為そのものが、傲慢で浅はかで恥ずべき行為だと本気で思っていた。
しかし、実務に入ってみると怒る人はめちゃくちゃ多い。
様々な問題に直面したが、怒っている相手に対してキレること無く、全てグッとこらえた。何事も原因は自分にあると考えて、ただひたすら謝った。
そんな毎日に、愚痴をこぼすことももちろん無かった。自分のしてきた行為を棚に上げ、現状を嘆く愚かなことだと思っていたからだ。
怒る素振りを見せることは無かったが、嫌な相手と対峙した時に真っ先にくる「ムッ」とくる感情は、どうしても封印することが難しかった。
そう思ってしまうのは、反射的なことで仕方が無いことかもしれない。
それでも、こうした感情が湧き上がってくる自分自身がとても嫌だった。
そのうち残業がどんどん増えていった。怒られる頻度も増えてきた。
そして、ベッドから起き上がれなくなった。休職を言い渡された。
自分の人生はもはや失敗だ、もう取り返しがつかないと絶望し、死んでしまおうと何度も思った。
私の何が悪かったのか、今でも分からない。…いや、そう思うことすら自分自身に驕りがあるように感じてしまう。
私はつくづく生きることに向いていない。
おれが守ってやるよ