議論で批判するばかりではなくて、代案を出すよう努めるべきだというのは良く分かる。
しかし、代案がなかなか出てこないからと言って、それが現状最も良い(マシな)案である保証はないと考える。
代案が出てこないことを持って最も良しな案のように言う人もいると感じる。詭弁ではないか。
現在の政権には期待が持てない、現在の政権を良くしていく方法は無いだろう、では政権交代だ・・・というならば飛躍があると思う。
何々の事業を何とかして続けたい、しかし公的資金を追加で投入するのは現在の社会情勢を考えると困る、
そうは言っても他に方法がない、仕方ない公的資金投入だ、なのだろうか。
それは公的資金を投入したい人が言っているだけであって、公的資金を投入するくらいなら事業の縮小や、そもそも撤退をした方がいいという意見の方が賛成を集めるかもしれない。
当然、代案を出すよう努めるべきだとは思う。しかし、今ある案が良いかどうかの評価は別の話だと思う。どうも一緒にする人がいるように思えてならない。
「その案には効果がある」かつ「対案が無い」 ならそれが最良の案になるだろうが。 対案無しに否定するなら「その案には効果が無い」もしくは「その案はやらないほうがマシ」を...
いや代案が本当になかったら今あるものが一番マシに決まってるだろ 縮小や廃止の方がメリットがあるって言うんなら堂々とそう主張すればいいだけの話でさ
何も決まらないまま足踏みしてるわけにはいかないから代案出せって話では 公金投入するな!でなく、別の資金調達しましょう、事業縮小しましょうの代案