私は『セクハラをやってはいけないから対策を講じること』に疑問を抱いている。
財務省のセクハラ問題よりもずっと前から存在しているセクハラ。
男尊女卑の思考は、現代では化石と言うよりもガンと言った方が良い。
前時代的な考えだと一蹴するのではなく、そもそも切除すべきなのだ。
「セクハラだと思わなかった」
「男が女に虐げられる世界」
という楽観的、あるいは悲観的な考え方は末期症状とも言える。
なぜなら、医者にガンだと告げられたら
「この壮絶な痛みはガンだったとは……」
「医者はみんなガンと言うんだ」
今回はガンの症状について軽視しているつもりは無く、あくまでセクハラ問題が主なので、本題に戻る前にこの例えから伝えておきたい事は
『もしかして、ガンなのか?』
という疑問を、なぜもっと早くに抱かなかったのか、という事だ。
私は『セクハラはあなたの心の中に住む病』と言いたいわけではない。
『セクハラをする人そのものがガンである』という事、そして自身がガンであることを知らずに他者を傷付けている事に気付けない組織こそ、最も問題視すべきことだとも思う。
題名にも書いた通り、私はセクハラ対策よりも道徳を学ぶべきだと思っている。
ここまで読み進めて頂いた方には大変恐縮だが、ここでは終始、
『人が嫌がることはやってはいけない』
という極めて幼稚な内容を、淡々と書き連ねるだけなのでご容赦いただきたい。
でも、それを理解していない人こそセクハラを行った、あるいはセクハラ容疑者予備軍なのだ。
私は、
『相手を思いやるべき』
とまでは思わない。
思いやったところで、気遣ったところで、その行動や振る舞いすべてが心無い女性から非難されることがあることも、時として起こり得るからだ。
だからと言って、
という、いかにもなグレーゾーンを模索するのもいかがなものか、という話だ。
私は、『相手から喜ばれる・好かれる』よりも『嫌われる方が何倍も簡単』という卑屈な考えを支持している。
逆に、『相手から好かれない人』に望んでなるよりも『嫌われない人』に望んでなる方が遥かに簡単なのだ。
なぜなら、『相手が嫌がるだろうな』と思うことは慎むべきであり、その考え方こそが相手の立場になって考えることだと思うから。
「相手が嫌がる事が分からないんだから、どうしたってセクハラになる」
と思っている方は、誤解しないで頂きたい。
私は冒頭から『セクハラはガン』だと思っており、最初から特効薬など存在しないのだ。
そしてセクハラをする人こそがガンなので、人でいう内臓、組織でいう役職に出現することが多く、やがて転移して全体に蔓延する状態になることを指摘している。
だからこそ『これはガンだ』と指摘する医者が必要であるように『これはセクハラだ』と指摘する人が必要なのだ。
セクハラは最初から組織ぐるみで撲滅するように取り組むべきであり、もっと言えば人ひとりが意識的に行動することで『免疫力』が高まって、そもそもガンにならない組織作りが大切ですよ、ということなのだ。
つまり、私は免疫力を上げるために『道徳を学ぶべき』と言っているに過ぎない。
免疫力を高める取り組みは組織全体から見てもセクハラ以外の問題も総合的に対策となるからだ。
「何を今更そんなことを大人がやるんだ」
と思った方も、見直して頂きたい。
大人になったからこそ、免疫力が低下して複合的な諸症状を引き起こしていることに。
小学生でも学ぶ道徳を、大人になったからこそ見つめ直して頂きたい。
だけど、人が嫌がることはやってはいけないのだ。
だからこそ、議論を積み重ねて意見をぶつけて、考えを見直して、個々が見つめ直すきっかけを作らない限り、凝り固まった思想や価値観は変わることなく、常に病気と闘わざるを得ない社会になっていく。