人間は一定の制約条件の元で自己の効用を最大化するように行動する主体である。
例えば、いまある人が1000円持っているとする。この1000円というのが制約条件である。
この1000円という範囲内で、自己の効用を最大化するために、
チャーシューメン大盛を食べるのか、
牛丼、チャーシューメン、かけうどんを選択したときに自分がどのくらいの効用を得られるのかをあらかじめ知っておく必要がある。
何度も牛丼、ラーメン、うどんを食べているからこそ、今何を食べたらどれだけ満足するのかを想像し、予想することができるのであって、
メゴマコと、ババダカタと、超ツママハのどれが食べたいのか選択しろと言われても困ってしまうのである。
さて、セックス同意書であるが、1.同意書作成3.身体において、a. 私があなたに触られてもいい部位として、
手、腕、二の腕、頭、首、顔、頭、脇、お腹、胸、乳首、足、太もも、お尻、外性器、内性器、アナルから選択するようになっているが、
これは過去にその部位を触られた経験があり、触られることに対する効用があらかじめ分かっていて初めて選択することができるのである。
一度もアナルを触られたことのない人が、想像でアナルを触ってもよいと合意したからと言ってそれは本当に合意と言えるのか検討が必要である。
この問題を解決するために、セックス同意書作成補助士の導入を提案したい。
セックスの経験のないものは、最初にセックス同意書作成補助士に身体の各部位を触ってもらい、
経済学の人間観は合理的な人間である。 人間は一定の制約条件の元で自己の効用を最大化するように行動する主体である。 なんかその考え方はもう古いらしいよ