https://togetter.com/li/1135119
既存のジェンダー・ステレオタイプとはかけ離れた立場にある者としての文章である。
彼女いない歴=年齢、発達ガイジ、品性下劣の筆者が言うからには間違いない。
(エマワトソンの想定する男性像とは異なるかもしれない。この一点についてのみ先にお詫びしておく。)
私が今置かれている立場はまさしく今の愚かな私にふさわしいものである。それは百も承知だ。
それでも問いたい。
この愚かな人物を救済したのは誰だろうか?
発達障害であることもあいまってか、私には人同士の繋がりや、対人における基本的なマナーにすら欠ける人物だった。(これでも学生時代よりはマシなのだ。)
エマワトソン氏のおっしゃる通りに、女性の家族に己の弱さと愚かさを見せ続けることを図らずも実践していた。
それでも、直接的に私の発達障害をマシなものにしたのは、良い意味で鈍感であった家族の元で過ごした時間と、薬と、自立支援機関である。
フェミニストでもなく、世の不特定多数の女性でもなく、私にチャンスをくれたのは、身内と福祉ぐらいのものだった。
私は最弱に近いことをなんとなく受け入れられたが、私ほど弱くなく、私ほど環境に恵まれていない男性はどう救われるべきなのか?
死後の世界についてはイエスかブッダに任せるとしても、弱いが故の激痛は誰が看てくれるのか?
過去の私にも、せめてエマワトソンやしずかちゃんのような友人が欲しかった。
バーベキューに誘ってくれるだけでも楽になれただろうし、他者との関係構築が困難なら病院に行ってみれば、と素朴な疑問を言い放ってくれるのも救いの一助になっただろう。
でも違った。
スポーツの成績は最悪、学校の勉強もなんとなくの感覚でしかわかっておらず、臭くてキモくて近寄りがたい外見の者にそんな都合のいい救いはなかった。
私が救われた所以は、ただそれにやっと気付けたことと、その疑問の解決に出し惜しみしない環境のうちでしか通用しないものだった。
あまりにも属人的な救いしかない時、誰であってもきっと絶望を知り嘆くだろう。
これを良く知るはずのフェミニストがこの問題を語っていないからこそ、私は同意しかねる。
性別だけでなく、より身近な貴賤や賢愚にも依らない万人への救いがあることを望むと共に、筆を置くこととする。
あなたを救うのは福祉では無く宗教です。 本当に申し訳ない。
私はまだ、私個人のみに対する救いがなくても生きていけるのでぎりぎり幸福の範疇です。どうか謝らないでください。 それよりも、あなたにとっての親愛なる隣人をどうか見守ってあ...