2018-04-09

納得行かないと謝れないのはセクマイ差別者反差別者も一緒

LGBT気持ち悪い人』の感覚―「理解」と「罪」の認識のズレ

http://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2018/04/08/130112

この記事には、

花畑の例えで言うなら、現実に起こっていたことは、「他人花畑荒らしていて、ずっとお咎めなしだったのが、ある時から『それはダメだ』と言われた」みたいなものだ。そこ「うち実家花畑」じゃなかったんですよ、と。

こうあり、ブコメに目を通すと

「なぜ簡単に謝って済まさずに屁理屈こねて反撃しようとするのか」といった論旨のブコメトップにあるんだけど、

理由に納得できないのに謝れって方が無理ないすかね。

上の記事花畑の例え、初見うまい事言うなーと思ったんだけど、現実実家他人花畑に明確な境界線はなくて、それどころか、「境界線がはっきり見えてる人もいるんだけど、みんな見えてる境界線が違う」って事が問題なんですわ、多分。

から、「屁理屈こねて反撃する差別者からしたら、

「えぇ…、ここ実家だよねぇ?」となるのである

「謝れ!」と言われてもこれでは謝れないよねぇ?

はてな民記事にあった「他人には他人現実が見えてる」には賛同するけれど、「差別をしてしまう人にも、その人なりの現実が見えてる」事は分からなかったり見ぬふりしたりする傾向があるのかもよ。


よし、みんなで気をつけよー!

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