『LGBTが気持ち悪い人』の感覚―「理解」と「罪」の認識のズレ
http://yuhka-uno.hatenablog.com/entry/2018/04/08/130112
この記事には、
>花畑の例えで言うなら、現実に起こっていたことは、「他人の花畑を荒らしていて、ずっとお咎めなしだったのが、ある時から『それはダメだ』と言われた」みたいなものだ。そこ「うち実家の花畑」じゃなかったんですよ、と。
こうあり、ブコメに目を通すと
「なぜ簡単に謝って済まさずに屁理屈こねて反撃しようとするのか」といった論旨のブコメがトップにあるんだけど、
理由に納得できないのに謝れって方が無理ないすかね。
上の記事の花畑の例え、初見はうまい事言うなーと思ったんだけど、現実は実家と他人の花畑に明確な境界線はなくて、それどころか、「境界線がはっきり見えてる人もいるんだけど、みんな見えてる境界線が違う」って事が問題なんですわ、多分。
「謝れ!」と言われてもこれでは謝れないよねぇ?
はてな民は記事にあった「他人には他人の現実が見えてる」には賛同するけれど、「差別をしてしまう人にも、その人なりの現実が見えてる」事は分からなかったり見ぬふりしたりする傾向があるのかもよ。
よし、みんなで気をつけよー!