凝り性の増田。好感。
雪国育ちのあわてんぼうだったのだ。洗濯も実家ではやってなかったな。地方大で六畳一間、一月7000円ぐらいのフロ・トイレ共用の下宿だったわー。洗濯機のコンセントをその都度、抜き差しする必要があったのかな。そこら辺、記憶曖昧。
あれは楽しかった
今は一人1万円以上ぐらいの焼肉屋に行っても「あ、うん、うまいね」ぐらいでしか無い
今後もっと稼ぎが増えて、もうちょい高めの所に行くようになっても同じことだろう
使える金は増えたが、豊かになったのだろうか?
・健診は0円じゃないにしてもそんなに掛からないよ
・健康保険から出産一時金出るから高い産院選んだり個室に拘ったりしなければ数万で済む
彼女と結婚して一緒に東京で暮らし車を手放すとか生活の形態は変わるよ。
もしくは娘が出来て学生の時に電車で痴漢被害にあい、痴漢に目を付けられ毎日性犯罪被害に遭うが父親に相談できず苦しむとか想像してみろや。
家は兄兄妹(私)の三兄妹だ。
次男とはテレビを見ながら一言二言会話ができる程度には良好な関係だ(私自身あまり口数が多い方ではない)
長男は、兄妹の中で唯一わかりやすく典型的な思春期、反抗期を経験している。
彼が中高生の時には母親と毎日のように口喧嘩をしていた。(父親は単身赴任のためほぼ不在)
直接母親に手を上げることは無かったが、彼の部屋の壁や本棚の側面には未だにいくつかの穴が空いているし、母親が泣きながら家を出て行くところも何度も見た。
両親が家にいない時、兄はよく私に命令をした。
覚えてるのは「カップラーメン作れ」とかそんな程度のものだったが、私はそれが凄く嫌だった。
反抗すると「殴るぞ」と脅され、「やってみれば」と挑発すると本当に腕を振り上げるのだ。
当然私はびびって構えるのだが実際に彼が私を殴ることは無かった。
けれど私にとっては腕を振り上げられた時点でもうそのショックは殴られた事と同じだった。
違いは肉体的な痛みの有無だけだった。
そんな事が何度もあり、兄と二人で家にいるのが怖くて家を出てマンションの階段にずっと座り込んでいたこともある。
そして大学生になると同時に家を出ていった。
時々帰省して来ると顔を合わせることになるのだが、流石に成人して数年が経つ彼が私に何かを命令して来る事は当然無い。
そもそもここ数年私と彼の間には会話らしい会話というものが無い。
私は彼の事が苦手だし興味も無いので話しかけることは無いし、彼も私に話しかけてくることは無い。
私の事をどう思っているのかなど会話が無いのだから分かるはずもない。
それだけなら文句はないのだが、私は彼の吸うタバコの匂いや自室で流している大音量の音楽にとても迷惑している。
母親にどうにかして欲しいと話すと何度かは注意してくれるのだが数回目からは「自分で言いなさい」と言われる。
その通りなのだが、何故か私にはそれが出来ない。
何故なんだろうと考えて、気がついた。
私は彼の事が怖いのだ。
私の中の長男の記憶は彼の反抗期真っ盛りの頃が最も多くを占めている。
きっと今の彼はもう私にムカついたとしても殴ろうとすることは無いだろう。
母親からも「実際に殴られた事はないんでしょ?向こうも別に嫌ってる訳じゃ無いんだから大丈夫でしょ」と言われる。
そんなことは分かっている。
けれどどうしてもあの時の恐怖がチラついて直接彼に立ち向かう事ができないのだ。
話すと意外といいやつそう