与えられた時間の中でどこに幸せを見いだせるか、自分はそれが分からいまま社会にでることになりそう。
これある歌の歌詞なんだけど。
当たり前なんだけど、こんな心にくる言葉久々だった。
気づいたら20代も終わって、30代も終わって……ってなるのかな。
自分は趣味といえるほど情熱を注げる趣味はないし、特技といえるほど誇れる特技もない。
友達だって多いわけじゃない。深い人間関係って作れない。昔いじめられてたし、家庭は不和だったからなんか人って信用できない気持ちが先行しちゃう。そのかわり浅い人間関係とかは大得意、みんな愛想のいい物腰柔らかな人って思ってると思う。
彼女もいるけど、配属が東京じゃなかったら別れよう宣言もされてるし、なんなら彼女浮気性なの知ってるし。心の底から信用できてない。好きには好きだけど。
勉強だけは何もしなくてもできたから、東京一工に現役で通えてる。でもそんな肩書きも社会に出たらサヨナラだから意味もないってよく言われる。もっといえば、勉強は自分が死ぬ思いで努力して勝ち得たような成果物じゃないから、褒められたりするのに違和感があるし、なんならむしろたまたまちょっと先天的に優れた点を褒められている気がして不愉快。イチローみたいに努力して得た人の方がかっこいいじゃん。
これはある意味そうやって認識することで、幸せの着地点を認識できるようにする言葉だと思う。
終りがあるから「ここで幸せだったんだな」とか「いまこの瞬間を楽しもう」とか思えたんだろうな。
自分の場合、そういうことが分からずに、正確にはほぼ終盤でそういうたぐいのことを認識させられて絶望している。
趣味、特技、友人、恋人、家族、全てが中途半端な状態で、悩んで苦しんでいてもSOSの出し方が分からず、かといってちょうどいい所で幸せを見出すことも分からず、、。
今後数十年生きられる自信がないなぁ。不謹慎だけど、自然災害とか交通事故で「残念ながら、運悪く、無念で死んだ人」って浅い人間関係の友人とか家族とか、裏切られがちな恋人にそう思われながら死んだら一番幸せな終わりに見える。早く、早く、終了イベントがきてくれ。
限界は近い。