2018-01-26

自衛隊員をそれなりに褒め続けることは必要

70年前の太平洋戦争は、政治に口を出し始めた軍人たちの軍閥政治暴走によって引き起こされ、その結果アメリカ軍に叩きのめされたということになっている。しかし、当時の軍人政治家たちのスタンス反戦であり、むしろアメリカの国力や軍事力を熟知している軍人こそが一番反戦だったのだ。

1941年4月から始まった日米交渉の経緯を調べてみても、いか日本側が戦争回避するか右往左往しているのがよくわかる。しかし、軍部政府反戦傾向であったとしても、世間はそうではなかった。当時の朝日新聞記事が載った本を読み返してみても、鬼畜米英だなんだと国民煽り続け、国民もそれに乗っかって主戦論が幅を利かせていた。

当時の新聞を読んでみると、真珠湾攻撃成功した当時は、日本全国で赤提灯を飾って戦争を祝っていたらしい。

そして旧日本軍アメリカ軍にいいようにしてやられ、日本占領された。それで国民戦争を煽ったことを反省たかといえば、そうではない。

全ての責任軍人押し付けて、自分たち軍部によって引き起こされた戦争被害者だという立場を取ったのだ。旧日本軍末裔である自衛隊にもその矛先が向けられた。戦後70年年間の自衛隊員はずっと日陰者として生きてくることを余儀なくされたのだ。今の70代・80代の人たちは、当時の自衛隊の人たちが世間からどのような目で見られてきたのか、よくわかっているはずである

転機はやはり1995年の阪神大震災の時だと思う。当時の首相がアホだったので自衛隊出動のタイミングは遅れたが、それでも被災地活躍する自衛隊員達の姿に、国民自衛隊に対する見方は少し変わった。2011年の東日本大震災の時には、自衛隊員は完全に英雄になっていた。あの当時の首相もアホだったけど、機能不全を起こす政府に対して、黙々と救助活動をする自衛隊員の姿は頼もしく見えた。

旧日本軍自衛隊を同一視するのはおかしい、と反論されるかもしれないが、実質的には同じである朝鮮戦争の時に日本海派遣された掃海艇部隊が、旧海軍軍人たちで構成されていたことは誰でも知っている。

旧日本軍兵站軽視の体質も戦前から批判されていて、その兵站軽視が太平洋戦争敗北の原因の一つになったが、その兵站軽視の伝統自衛隊にもちゃんと継承されている。南スーダン派遣の際も、一部の専門家から批判されていたよね。

国民メディア煽り続けて戦争に追い込んで、そして負ける戦争に負けたら、手のひらを返して軍人たちを戦犯扱いしたのが、戦後70年の歴史。そんな歴史的経緯を考えてみれば、もっと自衛隊員たちを褒め称える過程必要である

今回の草津白根山のようなウソの作り話を拡散するのはやりすぎだけど、それくらいのことを私たち国民はやってきたのだ。

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