あるゲームをすごく時間かけて遊んで、クリアしたからやっと設定資料集読める!と思って読んでて、ものづくりに対する開発者の想いを見ていたらそれとは対照的な自分の今の仕事に対してますますやるせなさが募ってきた。
今はシステムの企画から開発のようなものをやっているけれど、方向性も固まってないし、実体が何もないのに上はさもできてますという体で内外に言いふらすし、自分たちが何を・何のために・誰にむけて・どういうものを提供したいかということが何も分からない(各々が別々のことを思い描いている)この状況って何なんだろう、と。
ものをつくる作り手は少なからずユーザが楽しんでくれるとか、役に立ててもらえるとか、何かしらのいい反応を願ってつくるし、それを見返りとして求めるのは自然な姿だと思う。いちおうこの「システム開発」が「ものづくり」になるのならば、そういうものを期待して然るべきかもしれないのに、本当に何のためにやっているかも分からないし、誰かがこれによって喜んでくれる姿なんて想像もつかない。言われている目標や理想像を叶えたいのであればもっと他にやるべきことがある。
新しいことをやらなければいけない、って言われて集められたのが40代50代のおじさんばかり、かつ開発部門の上長が営業と企画のことしか(ことすらも)分からない、っていう時点で分かりきってたことだけど、結局今の「なんだかよく分からないけど生活を保つための仕事はある」っていう状態を保ちたいだけなんだろう。
それって気持ちの中にいつでも自分自身が手がけている仕事があって、ゲームでも映画でも日常生活でも、そういった入ってくる情報が手がけてる仕事のヒントにならないか考えている...