2018-01-14

童貞つらい男やめたい

性的な強さというものがある場合童貞というのは弱い存在だと思う。

はじめての彼女ができてしばらく経った。

彼女のことはほんとに大好きだし、お互いにやや依存傾向がある程度には想い合っている。

しかし、彼女と過ごした半年ちょっとの中で、ぼくには少しばかりトラウマになったことがある。

からすればほんとに些細なことだろうと思うのだが、「〜くんってたまに童貞っぽいこというよね」といわれたこである

このときぼくらは、ちょっとしたエロ話のような雑談をしていたのだ。

そして笑いながらこう言われ、ぼくは突然のことに面食らい、あからさまに落ち込んだ。

男にとって、童貞をいじられることほどみじめなものは無いと思う。

なぜなら童貞は誰に言われるまでもなく恥ずかしいものだと思ってるし、男として性的にみじめな存在だと自覚しているからだ。

ハゲみたいなもんだと思うが、改めていじられるのは本当に辛い。ただでさえ劣等感という自分の刃で傷ついているのに、他人の刃でも刺されるからだ。

それに、童貞というのはほんとにどうしようもない。恋愛のものが難しいものだと思うし、いくつになってもエロ漫画を読むのが楽しかったりするように、どんなに性交渉経験を重ねようが童貞っぽさは無くなりきらないものだと思う。

誰でもかつては妄想を本分とする中学生だったのだ。

しか彼女にいわれるというのがまたこたえるところで、彼女はいわば、童貞卒業に関わるあらゆる決定権を有しているといっていい。なにせ、初めての彼女なのだから

そのときすでに、一緒の布団で寝たり、ちょっとしたイチャコラはする程度にはなっていたので、あとは時間問題とでもいうところだったと思う。

しかしこのとき童貞をいじられたのをほんとに引きずっていて、男性として力がないことをとても恥ずかしく思う。

彼女とナニをしたいとも思うが、不慣れな醜態を、こともあろうにこの世で一番そんな姿を見られたくない相手晒すのかと思うと、しない方がマシな気さえしてしまう。

いっしょにいられれば、そんなことしなくともいい。性的なことに関心を持つと童貞ゆえに必ず醜くなってしまうくらいなら、いっそお互いにかこつけて品を保っててもよいではないか

童貞でいると、童貞でいてはいけない気持ちでいっぱいになる。

事実童貞ですら童貞バカにする世の中である。味方などいないのだ。

ぼくは選択肢が2つあると考える。1つは、めげずに男を磨くことだ。

セックスに慣れて、なんなら筋肉も多少はつける。髪型服装ももっと男として性を感じるようなものにして、彼女のいう色気とやらを出してみる。

時間はかかるが根本的な解決になる気もする。

しかし、これは過酷な道だ。

いってみれば、ゼロからスタートだ。

ぼくは彼女含め、いろんな女性高橋一生に似てると言われる。

すると、フワッと盛った髪型や、ニットのセーター、黒縁の眼鏡などが似合う。僕自身、そういうやさしげな風貌が好きだ。

でも、彼女いわくそれはだめらしい。

髪型ひとつとっても、もっとおでこを出して色気を出すべきらしい。

白いニットではなく、黒い服装をするべきらしい。

髪を刈り上げてジェルで固めるべきらしい。

ちょっと趣味個性的な部分もある彼女だが、要はもっと男性的な部分をプッシュした方がいいということらしい。

しかし、ぼくはそれが嫌だ。

男っていう性別自体むいてないんじゃなかろうか。

人としての自分には誇れるところもある。しかし、男としては恥ずかしいところしかない。

彼女はもう知ってるが包茎だし、童貞だし、彼女いたことなかったし。

専門学校美術勉強一生懸命やっているのはいいけど、そういう性的ステータスに関してはおろそかにしていたのだ。

でも、ぼくは魅力的な男性になるより、優れたクリエイターになることが遥かに大事だったのだから、仕方がない。

しかし世の中的には、自分の生まれ持った性に見合わないことははずかしいことらしい。

そこで考えるのは、2番目のプラン

男を捨ててしまうことだ。

女になりたいわけじゃない。男でも、女でもない人間になりたい。

男らしくあることを求められると、反動でそう思ってしまうことが増えた。

であることが理由で、劣等感を抱いたり、バカにされたりするくらいなら、いっそ性別に左右されない人間になりたい。これは切実だ。

陰茎も陰嚢もとってしまいたい。

100万くらいあればできるらしい。

でも別に女性ホルモンは打たない。女性という性で勝負したいとも思わないからだ。

ぼくは人として、あるいは職業人として評価されたいとは思うが、性的評価されるのはいやだ。結果がわかっているからだ。

マイナスを取り返すのにどれだけかかるのか。

夢を追いかけて過酷勝負が待っていることがわかっていながら、今になって男も磨くようなこともしなければならないのか。

子どもの頃、体育の授業が大嫌いだったのと似ている。

でも義務教育を終えたいま、評価する人間がいなくなった途端、運動は好きだ。ランニング楽しいし、友達バドミントンをしたときも、楽しかった。

でも、体育でいい成績をとる努力なんて、絶対にしたくなかった。

努力が嫌ならいっそひとりでいろとでもいうのか。

性を捨てるなら愛も捨てろというのか。ぼくはこれはわがままではないと思う。愛し愛される喜びは、一度味わったらけして捨てられない。そしてそれを捨てないがために、ぼくは男を捨てることさえ厭わない覚悟だ。

二人とも子ども絶対にいらないという考えなので、仮に結婚するにしても問題はない。

でも彼女は、「そういう手術は死ぬリスクもあるからやめてほしい」という。

彼女要望にこたえるのにも慣れつつあるが、ぼくは自分容姿生理現象から感じる男性らしさを、今日もちょっぴり憎んでいる。

彼女にはなんでそんなに憎むのか理解できないらしいが、ぼくはやはり憎い。

ぼくは男っぽくなりたいんではなくて、人としても容姿の面でも、美しくなりたい。

でもおっぱいが欲しいわけじゃないし、声を高くしたいわけでもない。

男性に恋をするわけでもない。

男としてどうかというバイアスをかけてみられたくないだけなのだ

自分男性であることが恥ずかしい。彼女ができてなおそうなのである

ぼくにはもっとやるべきことがある。

それは男を磨くことではない。

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