2018-01-05

anond:20180105163231

いやいや自由だろ

例えばお前が殺したいほど憎いやつが目の前にいて実際に殺せる状況になったときどうやれば一番苦しんで死なせられるのか考えるだろ

水死させるとか指の骨全部足まで折ってから今度は腕の骨を折っていくとかあまり外傷を与え過ぎるとすぐ死ぬから暗所閉所に閉じ込めて精神おかしくさせるとか

そういった想像と想定と結果の予測を組み合わせた先に自分希望により近い選択をすることが自由

また、気まぐれで殺さなかったとしてもそれはそれで自由

最終的に行動に移した際にそこに思考を伴っていなかったとしても結局それは選択をしたことになる

無意識意識に明確な境界線を引く必要もないが自分無意識による選択を嫌うのなら率先して意識的選択をすればいいだけだし

どちらを行うかの自由があればそれも選択出来ていることになる

どういった行動を取るのかの余地がある状態で行動結果を選ぶことができる状態選択可能状態である

選択に知性は宿る

知性は魂に自意識に宿る

我という自覚選択裏付けされている存在であって知覚の延長に位置するものではない

知覚に選択余地はない

  • そういう状況でそういう思考が発生する時、その思考をするかしないかの自由があるかというとないと思う。発生した後に気づく。 一方で、行動は自由だと感じられることが多い。かな...

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん