最適賃金を上げて、生活保護の支給額も上げた方がいいに決まってる
ただ、胡散臭い同情をかって訴えて来るような貧困ポルノのにはほとほと呆れ返ってる
1日1食とか毎日街に出かけてカフェでランチでもしてんのかよ(笑)
なんでそんな嘘付く必要あるんだよ
家計簿でも提出すれば、どれだけ一般的な家庭より切り詰めて生活してるかなんて明らかなんだから、そっちを開示しろよ
味方の振りしてヘイト煽って何が楽しんたよ
いやヘイターをおびき寄せてそいつらと戦ってる振りしないときな臭い支援団体が金入れてくれないんだから当然なのか
世の中狂ってるわ
正式名称が分かんないんだけどさ、
レーンが回転してるわけじゃないよね。
コンベアが皿を運んでる、周回させてる。
結果として皿はレーン上をぐるぐる回ってる。
で、皿が回ってるで問題ないと思うよ。
先進国より物価が安くて、キリスト教国よりバッシングが定形化されてなくて、共産主義時代の社会インフラが残っていて、イスラム教圏にとっては未開の地だからじゃないの
去年の夏から今年の夏までアメリカに留学してたやつがキモい。英語の授業を低レベルだとツイッターでぼやき、授業で発言し間違えた生徒を笑い、自分は他教科が出来なくても留学を理由に正当化し、ツイッターでは英語のスラングを交えながら英語でツイートする。でもフォロワーは全部日本人。アメリカはいい、アメリカに帰りたいとぼやくならさっさと帰れ外国かぶれ!
お前に人望がないの。お前にとって部下は一人でも上司や会社の代わりはいくらでもあるんだよ。お前は部下にとって装置でしかない。だからメンテナンスなら人間様がいない時にやっとけよクズ、程度の感情しか返ってこない。それだけ。
煽りではなく、素朴な疑問。
日本だと、最近の学生は内向きであまり留学しない、ハングリー精神が足りない、アメリカの有名大学の学部にはほとんど日本人がいないみたいな話があるじゃん。
これの理由はいろいろあると思うけど、若者にとって日本がそこそこ満足できる生活が送れるからって理由があると思うんだよね。良いか悪いかは置いといて。
一方で、敬虔なイスラム教の国家、たとえばインドネシアやパキスタンから日本の大学に留学してくる学生は多い。
敬虔なイスラム教徒にとって、イスラム国家での生活は生活しやすいわけじゃん、当たり前だけど。
にもかかわらず、日本に留学してくるってことは、なんらかの目的やハングリー精神があるわけで、国内では学べないことを学びたいだとか、国内の閉鎖的な環境が嫌だとか、そういうなんらかの先進的なというと語弊があるけど、保守的ではない考えがあるから他国に留学するわけだよね。
でも、彼らの多くは日本においてもかなりイスラム文化を大切にしているところがあって、小さな問題から大きな問題まで結構衝突が起きる。
ハラールひとつ取っても、あれは食べていいもの悪いものがあるわけではなくて、屠殺の仕方から変えなきゃいけないひとつの概念なんだよね。
で、他国に来るとそういうところから説明しなきゃいけないわけだけど、なぜ彼らは日本にやって来るんだろう?
または、なぜ郷に入っては郷に従えという考えにならないんだろうか?
雫(しずく) 下に垂れてる感がある。
とか
とか
でもまとめるとすごい便利!っていう厳選情報だけをまとめたメディア作って欲しい。
あとは何を探すべきか考えないといけないものをまとめてほしい。
ホテル予約、電車予約、Uber的サービスや決済サービス(paytm)などを調べなければいけない。
年齢層的(30代以上のおっさん)にも、クラスタ的(インドア派、オタク体質)にもだいたい似通ってるので知ってる人はそこそこいるでしょう。
エグザイル一派とかの方が知らない率高そう。
私は変わった人間と言われる。しかし人間なんて無くて七癖、どいつも変わったところの一つや二つはあって当たり前だ。みんな違ってみんないい。だから胸を張って言おう。私の他人と違っている点は、「スイッチ」を持っているということだ。ニンテンドースイッチではない。心のスイッチのことである。
「さあさあやるぞやるぞさあやるぞ!よしきたよしきたさあやるぞうおおおおおおおおおお!!!!」みたいな状態に心を持っていかないと、ついつい何でも後回しにしてしまう。今年から社会人になって働き始めて特にその傾向は顕著で、業務時間外での自分の日常は自堕落そのものとなっていた。仕事帰りの電車でBluetoothヘッドホンをつければ、だらけスイッチオン。掃除洗濯家事全般もうなーんにもする気がなくなる。昨日まで、三畳半の部屋は散らかり放題で、全てのものに定位置はなく、その真ん中に万年床だけが自分の居場所をどっかりと主張していた。しかし今、私は長い長い年末休みを頂き(邪推は無用。そういう業界なのだ。)、ついぞスイッチを入れ直す時が来た。この為に整理整頓術をググっておいた。それによれば、まず使用頻度の高いものと低いものに分類し、使用頻度の高いものを取り出しやすい位置に置いてから、使用目的別に分類するのが整理整頓の王道だという。ヘッドホンのスイッチを入れ、万年床をベランダに干してスペースを確保、その後は無心でひたすら、然るべきものを然るべき場所に移動していく。クローゼットに納まるもの、ハンガーラックに掛かるもの、ゴミ袋に詰められるもの、場所の貴賎ほどあれ、ものたちはそれぞれの居場所を見つけたようだ。最後に万年床が再び定位置に戻ったのは日が暮れた後だった。
部屋の整理整頓は終わった。今度は心の整理整頓が必要だ。せっかく長い休みをもらったのに、年始の予定がほとんど決まっていない。休みに入る前は漠然と、青春18きっぷでずっと電車に乗って、英語の勉強しながら旅気分も味わって過ごそうかと考えていたが、きっぷはまだ買っていない。年始の予定だけではない。自分がこれからどう働きたいのか、どんな人間になっていきたいのか、一度立ち止まって考えてみたい。
どんな人間になりたいのか。20年以上生きてきて、未だ答えを出せたことはないが、ただ一点、両親のような人間になりたくはないとだけは言える。両親は警察24時のような番組を好んで見る。警察に捕まり、取り乱して発狂する犯人を見て、「異常者だね」と呟く。私はそんな、異常か普通かという単純な物差しで人を測ろうとする人間になりたくなくて、世界を知りたくて、自分の知らない世界が世の中にいくらでもあることを知りたくて、英語を勉強したくて、TOEFLの対策予備校に通っていたのだった。9月末から2ヶ月間、一応、用意されていたカリキュラムが終了するまで通い続けたことになる。10人ほどのクラスの中で、先生の評価は2-3番目であったし、自分で言うのも何だが、まあまあやれていた。しかし、カリキュラムが終わってからの自己学習が思うように進んでいない。12月はちょっと高圧的な上司と一緒に働いていて、MPがガリガリと削られていたし、忘年会続きだし、準備は全て下っ端である私の仕事であったし、MPがガリガリと削られていた。そんなことを言い訳にしてしまう自分が恥ずかしい。
考えてみれば、今まで上に書いてきた文章は全て言い訳に満ちている。言い訳は必要ない。「やろう」と思ったことをしっかりやる。それを続けていれば、新しい世界を知り続けることができるだろう。いや、そこまではできないかもしれないが、少なくとも、自分の知らないところにも世界がある、と思い続けていられる。
松岡茉優が好きで、初主演映画「勝手にふるえてろ」を拝見する機会があった。主人公のヨシカは本当に言い訳ばかりで、「スイッチ」を持っている人だから、自分に重ねてしまうところがある。でもそんなヨシカも電気ストーブで家が燃えかけたのをきっかけに、「人間いつ死ぬかわからないから、自分のやりたいことをやってから死のう」という発想に至り、自ら作り上げた言い訳でできた世界を行動によって塗り替えて行く。
そんなことをこの文章を書きながら思い出していた。何が言いたいかというと、自分のような人間は映画「勝手にふるえてろ」から全てを学ぶことができるし、松岡茉優は最高だということだ。
コンプレックス持ち(例えばデブ)が周囲に対して「私デブだから〜」と自虐する事で開き直り、個性に昇華させようとして、周りの批判から逃げて、さらに痩せる事からも逃げようとするのと似てると思ったわ。
どっちかというと、そもそも女性の社会進出ってフェミの成果というより、
よっしゃこれでライバル増えるから高給取りの人件費削れるぞ、ってお偉いさんの思惑が見え隠れする
性嫌悪に染まったフェミがその場その場でアホなこと言うのはもうどうしようもないとして、
まだだ、まだモンストがある!