2017-12-28

死にたいが止まった

中学校で虐められた後、高校大学社会人

毎日毎日死にたいと思っていた。

朝起きて、学校行きたくない死にたい

会社行きたくない死にたい

メールを送るのが億劫だ。死にたい

仕事でポカをやってしまった。死にたい

上司が嫌な奴だ。死にたい

布団から出たくない。死にたい

休日布団の中でスマホ見て終わってしまった。死にたい

電車が満員だ。死にたい

会社の帰りが遅かった。死にたい

月曜だ。死にたい


風呂に入ると、死にたい死にたいと言いながらシャンプーをして、

朝ぼーっとしてるときも、トイレに入ってる時も、

ほぼ毎日死にたいなあと口にしてた。

もちろん死ぬ勇気なんかない。

死にたい」と呟くことは、

もはや心に焼き付いたシミのようなもの

一生取れないんだろうと半ば諦めていた。

それでも、平凡な毎日は変わらず送れる程度には器用で、

サラリーマンを15年勤めた。

その間、鬱病になりかけて退職した職場もあったけど、

まあ何とか自殺せずに逃げ切ることもできた。

直近の職場はとても雰囲気がよく、

時間も定時でほぼ帰れて、会社の同僚と飲みに行くという、

自分にしてはとても珍しいこともやった。

すごく恵まれ職場でも、

俺は毎日あいも変わらず「死にたい死にたい」と言い続けていた。

もちろんブラック職場で働いている時と比べたら

死にたい」を言う回数はだいぶ減ったけど。

昨年、貯めた貯金を使って独立した。

それまで全くの趣味であった、未経験な業種で開業した。

当然、開業してすぐの頃はお客は全く来なかった。

でも、貯金を全部使い切るまでは続けようと思った。

どうせ世の中は売り手市場だし、前職は人手不足常態化してる業界

再就職は多分できるだろうという思いもあった。

仕事発注がなければ、自社ホームページを作ったり、

昔の同僚や友人と独立の報告に(あわよくば仕事につながればと思い)

ご飯を食べに行ったりしてた。

公的起業家セミナーに出てみたり、

営業資料的な物を作ってみたり、

利益がほぼ出ないボランティアのような仕事経験と思って受けさせてもらった。

そうこうしてるうちに半年もした頃、

運が良いことに仕事がポツポツと入り始め、

何とかサラリーマンのころの8割くらいには稼げるようになった。

ふと、気づいたら「死にたい」と全く口にしなくなっていた。

自分死にたいと言ってた時と比べてみると、

仕事が好きな事なので作業自体面白い。受注できればその分だけお金が入る。

ミスをすると仕事がなくなるので、ミスが劇的に減った。

布団から出たくない日はでなくてもよい。夜に頑張る。

満員電車は乗らなくてよい。嫌な同僚も上司とも会わなくてよい。

面倒な飲み会はなくなった。やりたくない仕事は受けなくてもよい。

微細なメールのやり取りや電話はもう必要ない。



思い起こしてみると、自分ストレスの大半が

「やらされている」事に起因してるんだと気づいた。

もちろん仕事が減って食えなくなる怖さはあるけれども。

毎日の「死にたい」が止まったら、びっくりするくらい心が軽くなった。


俺は、ただのラッキー人間生存者バイアスかもしれないし、

単純に今の生活が向いてただけかなとも思う。

でも、小さくても自分仕事を作り、それを商い、生活する。

そういう生き方ができると「死にたい」が消えるんだと実感した。

もし、毎日死にたい」を連呼している人がいたら、

「やらされている」状況を変えてみるのも良いかもしれない。

死にたい」が止まった世界はとっても彩りが鮮やかだから

  • 何もやりたくない人間が何もしなくても回る社会が生まれればめちゃくちゃ幸福になりそうだと思った やりたくないことをやらされるのが人生だと思ってたわ

  • 「死にたい」と思ったことはないけど、いつも「仕事辞めたい」と思っている。収入はそこそこ良いんだけど、仕事内容は選べないわ、一つの仕事に慣れたと思ったら別の部署に異動さ...

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