最近何かと話題になっているはあちゅう氏(この人の名前を目にするのも疲れてきたから以後はイニシャル表記とする)について、セクハラ公開告発が自著の宣伝も兼ねてるのでは?なんて話もちらほら目にするようになってきた。
まぁ百歩譲ってそれが宣伝だったとしても、どうでも良い。
(どうでも良い、というのは、ここで論じたいのはこのことではないためで、ふざけるな、と言いたくなる問題ではある)
ただ、「自分という生き方を武器にしよう」って主張はとことん気に入らない。
H氏の言うセクハラ案件をここまで大々的に公開告発することができたのは、本人のネームバリューや社会的影響力が非常に高いためであり、さらにそうした価値は本人の容姿に依存している部分が多分にあるだろう。
人間生まれた時から不平等なので、自分が容姿に恵まれなかったのは仕方が無いが、はっきり言わせてもらう。
「自分という生き方を武器にする」ことができるのは、自分が社会的に価値がある人間であると認められていることを知っている人間だけであり、特に女性については容姿に恵まれた人間がそのほとんどである。
女性は容姿が醜い時点で、その他の能力が高かったとしても、それを武器にすることができる場面はほぼ無いに等しい。
H氏は、それを分かった上での自著の主張をしているのだろうか?
いや、分かっているからこそ、そのように主張しているのだろうか。
「「容姿も良くてネームバリューも社会的影響力も発信力も持っている自分」という生き方を武器にする」としか聞こえないのは、そういう生き方ができないからなのだろうか。