民放は見た目上はタダだが、テレビ広告費2兆円が細切れに商品に計上されている。
もうすぐ30歳を迎えるというころになって、あるとき突然百合の素晴らしさに気づいた。
百合が人々を惹きつけて止まないのは、古代の美術品をウットリと見惚れてしまうのと同じだろう。
リアリティなど、いらない。そこに美があるから、釘付けになってしまう。それは、あるとき輪講で先輩に「この公式はね、N次元空間に拡張できるんだよ」と教えてもらったときに感じたハッとした気持ちのようなもの。
現実逃避かもしれない。でも、そうしたら友人と語らうことも、本を読むことも、定理を証明することも、ぜんぶ逃避なのかもしれない。
種による、以上
友人が「鳥だって、飛ばなくて済むなら飛ばない」と言っている。
俺は「いいや、ハトは40~50cmなら歩くが、割と短い距離でも飛んでいる」と反論した。
もちろん歩くのに適した足とは思えないので、「鳥が歩く」≒「人間が片足飛びする」くらいの面倒さであろう。
それに対して「鳥が飛ぶ」≒「人間が走る」くらいの面倒さ。
ところが友人曰く、「鳥が歩く」≒「人間が匍匐(ほふく)前進する」「鳥が飛ぶ」≒「人間が逆立ち歩きする」くらいの面倒臭さだと。
本当はまったく移動などしたくないのだが、餌を食べるためにやむを得ず歩いているのだと。
敵に追われでもしなければ、飛びたくもないはずだと。
そんなもんかね?
忍びの道は厳しいな!
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20171210/k00/00e/040/152000c
本当に幻滅した
間違いを正してもらえなくなったり、
残業、君はしなくていいよ、もう早く帰っていいよって、上司に言われたら
「お前なんか要らない、会社の役に立ってない」と
上司に教えてもらいました。
数秒の遅れも、一瞬の見逃しも許されない――世間ではそういうことになっている職業、車掌。
けど実際は、時間を守って行動している体でやっていれば気を抜いててもなんとかなるし、
たまにアナウンスやドアの開閉でしくじったとしても、何事もなかったように事が進むか、客側に非があったということになってくれる。
加えて、車内で独り言呟いてる糖質にヘイトが集まったりするおかげで、自分の非が客に転嫁されやすい。
ほんといい天職だ。些細な誤字や失言一つで大きく足元をすくわれるようなそこらの零細企業に就かなくてよかった。
無人駅で全員が改札を通るまで見張らなきゃいけないという表面上の役割もあるおかげで合理的に人間観察もできて尚更そう感じる。
たまに改札でエラー吐いて慌ててる人から合法的に金を毟り取れるし、人の上に立ててるって感じがして優越感に浸れて最高だわ。
こんないい職に就いちゃうと、四面楚歌も同然の他の職業が格下に見えて、自分が天職に就いたんだなって気持ちが更に昂って幸せの極みだ。
√緑=緑でOKなんですか?
そしてその3回とも家族経営の会社で労基違反当たり前の会社だった。
その事について経営者に話したら、大体はぐらかされたり、どこもそうだとか言ったり
最終的にそんな考え方じゃこの先生きるの大変とまで言われたりもした。
普通の顔どころか上から目線で偉そうに接してくるの何なの。お前犯罪者だろ。
まじ社会どうなってんだよ
とっておきの方法を教えてあげよう。
年齢を平方根に換算するのだ
すると、
黄(16歳)→ 黄(4歳)
紫(15歳)→ 紫(3.87歳)
青(14歳)→ 青(3.74歳)