今回の神奈川の殺人鬼の事件は俺の想像を超えていたが、不謹慎にも、仮にアニメや漫画があったらまたぞろオタク叩きが始まるのか?という思いも抱いていた。
オタクでなくて良かったということではなく、なんだかちょっと変な気がするのは、ネットの特にまとめサイトのエロ広告や最高益を叩き出したソニーのソシャゲ―の貢献度はやや常軌を逸していないか?という点に個人的には「イヤな雰囲気」を感じている。
(デスマーチや酷い案件で鍛えられた単なる俺の勘だが。エロ広告に関しての批判は時々見るとは言え)
それに金やエロが絡むと見境の無い所が出てくる。
漢方薬局で買ってるんだって。薬の効果を高める水。500ml300円。水道水じゃ効くもんも効かんってさ。
ヤバい高さじゃないけどただの水に300円は高い。そもそもそんな奴が売ってる薬なんて信用できねー。
私は漢方効いたよ相談してみたらとは言ったよ。薬局も教えたよね。なんで別の所行くかな。いや別の所に行くのは別にいい。なんでこんな怪しい所行っちゃうかな。
もう超怪しい。怪しいです!って書いてあるようなWEBページ。水素水でガンが治る!と同じレベルの怪しさ。ヤバさしか無い。
一応責任を感じて怪しいと思う旨とその根拠を言ったけど、だめだね。だめだ。逆に超おススメされた。完全に入れ込んでやがる。
思えば彼女は昔から彼氏も怪しいやつばっかだった。せっかくそこそこ美人なのに変な奴に時間を使い続けて独身のまま35。
それにしても出会って数週間の男の話はあれだけ信じるのに、もう知り合って20年近くになる私の言葉は信じてくれない悲しさ。
仕事柄色んな会社のイベントに出るんだが、最近増えたビンゴや抽選じゃなく、欲しい景品に事前に投票して景品毎に抽選する形式
馬鹿は「その景品に入れる人少なきゃ倍率高くてお得!」とか言うけど、実際はまとめて抽選するより期待値は減るんだよね
抽選直前に景品毎の応募総数教えてくれて、それが参加人数/総口数より少なきゃ言う通りだが、そんなん言うところ皆無
一点豪華主義を際立たせる手法なんだろうけど、自分が投票した景品に外れた場合、可能性が0になる訳だし、会場の冷め加減も普通より凄いんだよね
今期取らないと留年が確定するのに
どうしても朝起きられない日が続いて学校にいけなくなった
親が喧嘩したり
家にも居場所がない
つらい
勉強もテストだけの科目ならちゃんと点数取れるくらいには取り組める
でも今日どちらも取り組もうと思ったらそれすらできなくなった
ひたすら寝ている
寝ているだけなのに疲れました
友達に相談しようにも友達はふつうに出来てることだし家族は話す以前の問題なので
ここに書きました
どうしてこうなっちゃったんだろ
追記
18卒ではなく19卒です、逆求人系のサイトにいくつか登録してるのでそれ経由で面談をしています。
19卒の就活解禁が12月からなのですが経団連のスケジュールに乗るか乗らないかは企業次第らしく
また、面談は選考じゃない(らしい)ので就活と言うのはちょっと語弊があったかもしれません。
牛や豚でいうならロースの部分?
リベラルっていう用語は今では多義的になっちゃって拡散しているんだけど、源流をたどると「絶対王政などに見られる巨大な権力者に対して個人の自由を守り社会を安定させ豊かにしていく思想」があるよね。国の命令で、一般的な民間人の生命やら財産やらが奪われてはならない。思想や発言には自由があるべきだし、職業や結婚相手を強制されるべきではない。個々人は個々人で自分の人生を生きる自由がある。古典的な自由主義としてのリベラル。
いま日本では、リベラルが退潮とか危機とか言われているけれど、どう考えても歴史上もっともリベラルが花開き成果があるのが現代だと思う。古典的な自由主義者が目指した自由と繁栄の国が、いまの日本だよ。
もちろん、リベラルという語の示す意味合いは歴史によって徐々に変わっていった。いま死のうとしているのは、後発の変化した後のリベラルなのだ、という指摘は正しい。
しかし、でもだとするのであれば、その主張方法も変えていくべきだったのね。一番古典的なリベラルは上記のように「巨大な権力者の恣意的な権力乱用から市民と市民の自由を守る!」というものだったから、その主張手法は「だから、権力者(日本の場合首相とか与党とか政府)を厳しく監視してそれを咎めていかなければならない」であるわけ。日本の野党が国会で、やたらに与党に噛み付いたり、「安倍政権が九条を変更すると即座に戦争を開始してしまう!けしからん、断固打倒!」というのは、たしかに、古典的リベラルの主張としては正しいわけ。なにせ彼らは「巨大な権力者の恣意的な権力乱用から市民と市民の自由を守る」が主張なのだから。
でも最初に述べたように、古典的リベラルが憂いていた社会問題――たとえば王様が個人的鬱憤やら貴族の内輪もめで戦争を開始して農民の命がゴミのように消費されるとか、身分差の下位の側が奴隷としてなんの自由も選択権もなく酷使されるとか、餓死するとか――そういうのは、現代日本においてほぼ解決された。こういうことを言うと顔を真赤にして「現代のブラック労働問題が!」とか叫ぶ人はいるけれど、少なくとも法的な側面ではかなりのケアが進み、運用側の問題へと問題は進んでいる(日本の生活保護の捕捉率はたしかに大問題だけど、運用の問題ではある)。
つまり古典的な自由主義者は、打倒すべき問題の殆どを失ってしまった。日本の社会で言えば、1970年代の公害訴訟あたりの時期で、社会的使命を一旦果たした。そこで寿命を迎えたと思うのね。
もちろんそこで社会問題がなくなったという話じゃないんだけど、それらを指摘して解決していくためには、リベラルは名前を変えるか、名前を変えなかったとしても少なくとも主張方法は進歩させるべきだったわけ。なにせ古い主張とその手法は、古い問題に最適化されているわけだから。「安倍政権が九条を変更すると即座に日本は戦火に包まれる」なんて主張を、現代日本国民の誰がどれだけ信じている? 1%もいないとおもう。現代日本人の殆どは「政権を監視して非難すれば問題が解決する」なんて、もはやファンタジックなおとぎ話だと感づいているんじゃないかな。
現代に残る社会問題は、格差にせよ人口減にせよ、少数の絶対悪者が陰謀の結果日本に振りまいた災厄ではなく、すべての日本国民が利害関係者として今まで行ってきた選択の結果起きた、避けえない出来事であって、誰か少数者をリンチしてスッキリしたとしても、解決なんて出来はしないって気づいているんじゃないかな。
にも関わらず、いわゆるリベラルと言われる組織や政治家が懐古的な「邪悪な政府の陰謀論」を卒業できないのは、本当に卒業できないわけじゃなく、そういう手法を卒業しないことで利益を得ていた既得権集団だっただけなのだ。そういうことがほとほとわかっちゃった。そういうのがこの数年の政治状況じゃないかな。
いま日本でリベラルに愛想を尽かしたり、叩いたりしている国民も、一番最初に述べた「国の命令で、一般的な民間人の生命やら財産やらが奪われてはならない。思想や発言には自由があるべきだし、職業や結婚相手を強制されるべきではない。個々人は個々人で自分の人生を生きる自由がある」という意味では、立派なリベラリストなわけね。それらは当たり前にいつでも手に入る無価値な宝物ではなかった。たとえば北朝鮮ではそういう社会が実現されてないもの。
だからその部分は歴史に対して胸を張っていいとおもうのだ。そして同時に、自分たちがそういう意味ではリベラリストなんだから、リベラルを必要以上に憎むべきではない。少なくとも歴史のある時期、それらは社会に必要で、現代の豊かで平和な社会につながる重要な役目を果たしたわけだから。
一方で、そういう言う意味では、リベラルという看板は役目を終えたし成仏すべきだと思う。現状、Webやらマスコミで「リベラル最低だ」っていってるのは、かなりの程度死体蹴りだ。「リベラルという少数悪が邪悪だったので社会が悪くなった」というのは、まさに駄目なリベラルがすがりついていた思想そのものだよ。すがる側も、嫌悪する側も、もうリベラルから卒業しても良い時期だ。