いやね、俺は「あなたの意見」に反対だけで、あなた自身には興味がないの。
愛の反対は憎しみではなく無関心、っていうでしょ?
ぶっちゃけいえばどうでもいいの。
ただ、あなたの意見が「正しいもの」として通ると、俺としてはおかしいと思うし、あなたの意見がとおってモロモロがあなたの意見に従って動くとなると困ったことになるから反対してるだけ。
それを「そんなにお前は、俺のことが気に入らないのか」みたいな反応しないでくれる?
なんなの?その「俺の酒が飲めねえのか!」的な謎理論。
誰に勧められても、飲めないものは飲めないの。
あくまで自分の観測範囲の話なのだけれど、どうも日本人には「俺の酒」理論を振り回す人が多いような気がしている。
工業デザイナーの奥山清行さんの本に出てた話なんだが、奥山さんがフェラーリ関係でイタリア人と仕事をしてたとき、イタリア人の真面目さと、職場での議論の激しさに驚いたらしい。
ラテン系の国を旅していると、激しい口喧嘩に出くわすことがあるけど、あんな感じらしい。
そりゃもう、日本人だったらあんな喧嘩したら、そのあと職場の雰囲気がひどくなるんじゃないかというくらい。
ところが、イタリア人は、「議論の時間」が終わって休憩に入ると、派手に喧嘩(みたいな議論)してた同志がしれっとエスプレッソなんぞを飲んで談笑してたりするという。
そういうの、ちょっとうらやましい。
おばさんはまず入院するところからはじめよう
対象が未知の存在であるほど感情的になり、知っている(と思う)ほど冷静に対応できる。気心しれた人と議論した方がいいというのは、そういうことかもしれない。