これまで小説を読むのはかったるいと思ってきた。
なぜなら、文字を読みとって、意味を理解して、情景を思い浮かべて…労力と時間がかかる。その作品がすでに映画化されいるのなら、小説などわざわざ読まなくとも映画を鑑賞すれば済む話だと思っていた。文字を映像に変換しなくても、すでに映像になっていて、2時間も座っていれば始めから終わりまで内容を理解することができるからだ。それに比べて小説は、読み始めて1時間もすると目や首や肩が疲れてくる。しかも数十ページしか進んでいなくて、結局読み切るのに何日もかかってしまう。だから、小説はほとんど読んだことがなかった。
しかし、最近まとまった時間ができて、たまたま小説を読む機会があって気づいた。小説には小説の良さがあると。それは、思考や感覚を言語化する能力が養われるということだ。
ここで小池一夫氏のツイートを紹介したい。〝人間は言葉で思考する。だから、年を重ねたアイドルを見て「劣化」とか、精神が弱った人を「メンヘラ」だとか、一線から外れた人を「オワコン」などという言葉が頭に浮かんだら、自分の思考は汚い言葉に毒されている、負けていると思った方がいい。劣化しているのは自分。(小池一夫)〟これは思考の質は、語彙の質や量によって左右されるということだろう。
また、自分の感じた感覚を他者に正確に理解してほしい時、やはり語彙や言語表現が重要になってくる。例えば「ヤバい」という言葉で様々な感覚を表現する人がいるが、それだけでは「かわいい」のか「かっこいい」のか正確には伝わらない。さらに「かわいい」でも「愛くるしい」のか「可憐」か、微妙に感覚が異なる。貧弱な語彙力では、自分の感覚を正確に伝えることはできないのだ。
言語能力は、思考力や表現力につながり、ひいては、他者との理解、そしてより良い人間関係の構築に繋がる。言語能力は、映像作品では決して養うことができない。これからもっともっと小説を読もうと思った。
語彙にこだわるのは低能だぞ 小池も語彙なんて低能御用達ワードは使ってないだろw
あと他者に伝達するのにも語彙は必要ないぞ低能w おまえ自身が文中で言っているように一つの言葉でもひたすら分解していくことが可能だ 少しでもずれを減らすには伝えたい相手とひ...
必ずしも脳内で文章を映像化する必要はない。
映画だってただ見るんじゃ無くて 役者の演技だとかカメラワークだとか 見る目を養えば違ってくると重う