だから書く。
私は誰のことが好きなのかわからなかった。
どうしてもひとりになれない環境、常に他人と一緒にいなきゃいけない環境にいた。
でも、ようやくひとりになって、考えることが出来た。
私はもう疲れてしまった。
私の疲れはみんなの疲れ、みんなの疲れは私の疲れだ。
泣きたくてしょうがない。
無くなってしまいたい。
泣きたいのはこっちだよと言われるね。
時間の経過と共に、ポジティブにもネガティブにも変わる感情というものを人は理解していない。
そして、状況もそれによって変わるということを理解していない。
私の周りの人は私が病気だと言う。彼が来るはずがないと。私と彼が恋愛をしているはずがないと。妄想だと。
しかし、周りの人の言うことを信じれば、
ネットに書かれていることは全て私の病気による妄想による幻視なのだろう。
それを信じるのはどうかしている。
ネットに書かれていることを元に会いに行くのはどうかしている。
それを信じるのは確かにヤバいのかもしれない。
そして、皆、私と彼の恋愛を終わらせるために書いているのだとしたら、と。
私と彼を混乱させるために書いているのだとしたら、と。
私は、私は、疲れてしまった。
両方を真に受けることに疲れた。
そしてある日の夕方、ひとりになる機会がようやく出来てやっとゆったり落ち着くことが出来た。
同じところをぐるぐるまわっているだけだった。
私は悲しくなった。
出口が見えないことに。
そしてその境遇を認めることは私にとって死を意味する終わりを意味するほど苦痛なのだ。
しかし、彼に会うには、自分が自分のその境遇を認めなければならない。
(しかし、周りの人によれば、その境遇は思い込みで病気なのだと。)
彼は真っ直ぐだ。大きく真っ直ぐな目をしている。
そして少し悲しい目をしている。
私の様々な罪を見透かされているようだ。
彼に、自分の気持ちがフラフラしていることを知られたくないし、
自分でも認めたくないのだ。
正直言って今の彼を好きになる自信がさっぱりないのだ。
私の罪を許してくれたとしても。
安心はどこにあるのだろうか。
安心を得るにはさらに不安定な世界へ足を踏み入れなければならない。
そう思うと私は足を踏み出せない。彼に近づけない。
でも、ひとりになれたその日の終わりに、ひとつだけ彼についての安心材料があった。
もし私が病気ではなくて、
彼はひとりで来ているらしい。
少なくとも彼は彼の友だちとは来ていないらしい。
彼がひとりで来ているのならば、ちゃんと正直に話せるかもしれない。
ちゃんと怒ってギャン泣き出来るかもしれない。
そう思った。
好きになれる自信はあまりないが。
しかし、彼は傷つく恐怖を覚悟して会いに来てくれているようだ。
彼もギャン泣きしているのかもしれない。
私は会うべきなのだろう。
私は会う直前に必ず、
うまくいかないのではないかと不安になってしまう。いつも感情がぶれる。
私と彼のせいで不安な私は、常に逃げる場所と逃げるための人を求めている。
私の周りには宇宙人(=私の家族)しかいないのだ。応援するどころか邪魔をする。
しかしその逃げる場所と逃げるための人が彼の友だちになってしまっていることで、
逃げを理由に好きになってしまうということはあるのかもしれない。
願わくは、彼を好きになるために、私に対し、彼の友だちに彼の友だちによる彼の友だちの絶縁状を書かせてほしいのだ。
誰にも助けを求められないのだな。
恋愛というやつは。
追記。