2017-09-17

anond:20170917175559

ボキャブラリーの多さは言葉知識の多さの尺度しかならないよ。

例えば極めて多くのことを感覚でのみ理解記憶している人がいたとして、その人の言語的な知識が少なかったとしたら100種類の綺麗を1つの表し方しかできないが、一方でこのひとは100通りちゃんと区別して認識できている。

そして、知性ということばは

物事を知り、考え、判断する能力人間の、知的作用を営む能力。「知性にあふれる話」「知性豊かな人物

比較抽象概念化・判断推理などの機能によって、感覚所与認識にまでつくりあげる精神能力

のように定義されているので、”物事を知り、考え、判断”した内容を表現できなかったとしても、それは知性が(少)ないことにはならない。

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