Instagramには美しいもの、質の高いものだけを公開するべきだという自由な雰囲気があり、Facebook, Inc.の厳しい態度がヘイトをよく抑え込んでいて差別がなく、それがコミュニティをよりよくしているのだ、という。
Facebook的世界観では汚いおっさんは認識自体、存在自体、本質が苦痛であり、苦痛とはヘイトなのだ。善は偶然に生み出されるものだが、悪は意図しなければ生まれないものだ。そして意見とは同調であり、議論とは賞賛であり、コミュニティとは自己なのだ。おっさんは存在するという攻撃を行なっているのだ。
インターネットからFacebookと帰りの会から永遠に出られない合法小学生が死に絶えるまでおっさんの攻撃は終わらないだろう。終わらないでくれ。どうか生きていてくれ。
インスタでの女同士の見栄の張り合いは十分醜いけどな。