2017-09-10

anond:20170910232348

ただの人間不信でしょう。

家族、とくに親から無条件に愛されるという経験を積めなかった人間

誰も信用することができなくなります。(※実際に親が愛情を持っていたかどうかは別問題)

対人関係について、もっと合理的な行動を取ろうとするために、

応援する、言葉は受け取る、相手立場に立って考える

こういう行為はごく自然にできるのですが、

自分自身相手を信用していない以上、相手から信用されているという感覚本心から持つことはできない。

たぶん、相手自分を信用していないだろうと無意識に考えてしまうわけです。

これは病気というよりも、個性ではありますが、生きる上では苦労が多いでしょうね。

記事への反応 -
  • 自分の性格が分からなくて悩んでいます。 最初に自分の思っていることを書いておくことに。 人は信用できない(家族ですら半信半疑) 人を応援してしまう(仕事など何か目標に向...

    • ただの人間不信でしょう。 家族、とくに親から無条件に愛されるという経験を積めなかった人間は 誰も信用することができなくなります。 対人関係について、もっとも合理的な行動を...

    • 例えば世間的に現代では回避性人格障害とか境界性パーソナリティー障害とか色々病名とかあったとしてそれがなんなのかって話でしょう。 ただの個性だよ。 なんか人間関係がうまくい...

    • それは、増田さんが他人を ① 信じたいのに信じられない ② 信じる気にさえならない(なんでみんな信じちゃうの) ③ 信じてもいいけれど 不安がある どれなんでしょう。

    • そんな自分なのに他人を信用することができず、どうしても誰も彼もが打算で動いているようにしか見えないのです。 打算で動いていて何か問題あるのか? むしろ打算がない人なんて...

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