2017-09-04

いじめられていた時私はどうすべきだったのか、未だにわからない



中学生の頃、教師も、友達も、家庭も、周りが敵だらけだった時期があった。

というか、3年間ずっとそうだった。

それは自分がなんらかの行動を起こさなかったからそうなった部分もあるのだが、

今になっても、自分があの時どうすべきだったのかわからない。

私は小さい頃から内気で大人しいタイプだった(今はそんなことはない)。

近くに声の大きい、いわゆるスクールカースト上位の人がいると、怖くて萎縮してしまう感じの子だった。

親が厳しく、親の言うことは絶対な家庭で育ったこともあってか、自分意見意思を持つことはほぼなく、流されやすい子でもあった。

でも何人かいつも一緒に過ごす友達がいた。中学生に上がる時に、その子に誘われて吹奏楽部に入った。

本当に誘われて入っただけだから何も知らなくて、最初水槽で何か育てるのかと思ってた。

まらなそうだなーと思いながら、流されて入部した。

パートトランペットになった。内気な私らしくない、目立ってかっこいい楽器だった。

本当はドラムをやりたかたか打楽器希望したのだけど、希望なんて一切考慮されていなかったし、毎年希望なんて通ってないよと先輩に言われていたので覚悟はしていた。それでもがっかりした。

トランペットパートの新入生はもう一人いた。Aちゃんという、気が強くて背の高い女の子だった。小学校の頃から苦手だと思っていた子だった。小学生の頃、面識もないのに私のことを「影が薄い子だ」とか言っていたのを知っていたからだ。

しかしろくに話したこともないのに避けるのは良くないし、部活をやめることも怖かったのでとりあえず頑張って続けることにした。

最初はビクビクしていたが、Aちゃんとはそれなりに仲良くできていたと思う(少なくとも、険悪な感じではなかった)。一緒にプリクラも撮りにいったし、お互いを名前呼び捨てにして、部活時間はずっと一緒に行動していた。

でも、入部して3ヶ月も経たない頃から、よくAが「気に入らない」という理由から無視してきたり、周りの部員に私の悪口を言うようになった。「気に入らない」というのははっきり言われたわけではないが、「○○なのがムカついた」とか言ってたので要するにそういうことなんだろう。

ある日突然急に話しかけても無視される。何か悪いことをした覚えはないのでAに「ねえ怒ってる?私、何かした?」と聞いて事情を聞いた。そしてAが私に対しての不満を言い、私が「ごめんね、私が悪かった。これから気をつけるね」と言う。これが2ヶ月に1回くらいのペースで繰り返される。

しかけることがとても怖かった私は、ある時はメールで怒っているAに話を聞いたこともあった。21時以降のメール禁止されていたので、「もう寝なきゃいけないから、また明日話そう」と送ると、Aは「なんで話の途中なのに寝るの?私と仲直りしたくないの?」とか送ってきて半泣きになったのをよく覚えている。

もちろん私は小心者なので、相手を怒らせるようなことは何もしていない自信がある。というのも、当時何をされたか記憶がほぼなくなっていて、何がきっかけでAの機嫌を損ねていたのかを覚えていないので、実際は私が本当に失礼なことをしてしまったのかもしれない。でも少なくともA以外の周りから性格言動に関して指摘を受けたことはなかったし、過保護で厳しい親から他人を傷つけることをするような教育は受けていない。

そんな心臓に悪いことが何度も続き、次第に私もストレスが溜まっていった。ストレスと言うとイライラするイメージだが、実際には怖くていつも泣いていた。最初部活には行き、隠れてこっそり泣くだけだったが、次第に部活時間に逃げるようになった。友達美術部にいたので、美術部に逃げたりしていた。しかしAと他の仲がいいいじめっ子女子を連れて私を探しに校内を歩き回っていた。美術室で物陰に隠れて、友達も「ここにはいないよ」とかばってくれていたのに、探されて見つかって連れ戻され尋問された時の恐怖はずっと忘れられない。怖すぎて何を言われたのかは覚えていないが。

他にも、悪口や仲間はずれは常のこと、「お前だけうまくなるから練習するな」というようなことを言われたり、時には「話し合い」という名のもと、教室の隅にAと他3人くらいの女子に呼び出されて、私に対する不満やら悪口やらを聞かされた。旅行に行ってお土産を買ってきたので渡したら、「そんなものいらない」と言われた。

他にもいろいろ言われたしされたけど今は思い出せない。ふとした時にフラッシュバックするんだけど。

言い返すことはできなかった。何されるかわからなくて怖くてできなかったし、一度退部も考えたけど退部後にずっと私の悪口を言いふらされるかもと思うと退部しても状況がよくなると思えなかった。されるがままになっていた。私が一度でもAに声をあげて言い返していれば、何かが変わっただろうか。

2年生になる頃には、毎日部活の帰りは泣きながら帰っていた。朝練時間部活後に人通りのない階段に座って静かに泣くのが日課だった。うずくまって泣いている時はたまたまある男性教員に見つかり、虫みたいだと笑われた。でもいつも一緒に登下校していた親友のBは、そんな私を見捨てることなく慰めてくれた(彼女も同じ吹奏楽部だった)。

勉強はきちんとしたかったので小学校の頃から塾に通っていたが、勉強が手につかなくなってきた。授業中に突然意識が飛ぶように眠ってしまうことが増えた。常に泣き疲れてたため自室で宿題をやりながら寝てしまうことも多々あり、そこを母親に見つかり怒鳴られ、平手で頬をぶたれ、あるいは蹴られていた。一人の時間が怖くなっていった。

どんなにつらくても、必ず学校には行っていた。というか、母親が怖くて行かざるを得なかった。母親は「つらくても一度行かなくなるとずっと行けなくなる」という意見の人だったので、休んだりすることは許されなかった。これが正しいのかどうかはわからないが、私には合っていなかったと思う。私には、とにかく一度休んで冷静になり、自分の置かれた状況やどうすべきかを考える必要があった。

とうとう部活顧問相談した。当時30代前半の、猫なで声を出す音楽教師顧問が親身になって話を聞いてくれた。といっても、そうなんだ、と相槌を打つだけだったし、「Aにも話しておくね」と言ったきり何もしなかったが。むしろ自分がAに嫌われて反抗されると厄介だったのか、Aに気に入られるようなことばかりしていた。

同じく30代前半くらいの女性の副顧問にも相談した。副顧問は優しかったが、彼女には私を救うような行動を起こせる権力?がなかったようで、でも顧問よりは私を心配してくれていた。副顧問自身もどうやら先輩教員からパワハラに悩まされていたようで、どちらかというとこっちが心配だった。

他のパートの同期にも相談した。その頃にはAの暴れっぷりは部活内だけでなく学年中に知れ渡っており、彼女たちは首をつっこむと自分が面倒を被ることがわかっていたので、「あーそうなんだ」と言うだけで終わってしまった(し、3年生になって役職に就くと、部活に来たがらない私に朝練にちゃんと来いとか言っていた)。

精神的にもきつくなってきた2年生のある日、また「話し合い」に召集され、塾の時間ギリギリまで帰してもらえないことがあった。急いで帰ると、母親にきつく怒鳴られたし、もちろん顔を平手打ちされた。そこでとうとう耐えきれず、母親の前で号泣してしまった。泣きながら、ことの顛末を話し、私だってこんなのもういやだ!と叫んだ記憶がある。それでも時間は守れ!と怒られ、塾に連れて行かれたが、塾でも泣いていたので、かなり人目を引いただろう。

帰ってくると、母親に、何か悩みでもあるのか、みたいなことを聞かれた。母親は本を読んでいたか携帯をいじっていて、真面目に聞いてきてはいなかったが、ようやく楽になれるかもしれないと期待した。

Aにされたことを(一部だが)話すと、じゃあ関わらなければいいと言われた。パートは一緒に活動するのでそうもいかない、という話をすると、じゃああんたが悪いんでしょ(何か悪いことをしてるんでしょ)、と言われてしまった。一瞬頭が真っ白になった。立っているのもつらくなり、自室のベッドに倒れこんだ。どんな状況でも、親は子供の味方になってくれるものだと思っていた、私が甘かったのかもしれない。

もう頼れる人は誰もいない、私はこのままずっと一人で戦わなければいけないんだ、と絶望したし、自分を追い詰めすぎて軽くパニックになっていた。その時、初めて部屋にあったはさみを手首に当てて傷つけた。痛みで冷静になれている自分がいた。(これは結局高校2年生のころまで続いた。)

(ここまで書いていると、なんだか本当は自分が悪かったのではないかという気がして来た・・・

その日から、私はこの状況から脱却することを諦めた。諦めようと決めて諦めたわけではなく、Aやその周り、顧問(、あと母親)の機嫌をとる方が簡単で、自分精神的に苦しむことが少ないと思ったからだ。

それからは笑っていられる日が増えた。部活楽しいとすら思った。でも夜に布団に入ると、考えることをやめて毎日惰性で学校に通い、イエスマンになってAのいいなりになっている自分がいることに気がつき、結局毎晩泣いていた。泣いてカッターで手首切って疲れて寝るのがルーティンだった。

3年生になり、パートリーダー顧問が決めた。顧問がAをパートリーダー指名してくれたおかげで、Aの権力正式に認められてしまうかたちになり、何をするにもAの許可必要になった。

その頃にはAの機嫌を損ねるのも3ヶ月に1回あるかないかになっていたし、もはや「Aのいいなりになるいじめられっ子であること」がアイデンティティになっていた。それがなくなると、私は本当に空っぽ人間だった。

局部活はそのまま3年間続けて、卒業することとなった。思春期大事な時期がこんなだったので、高校生になってから大変だったのだけど、それは今回とは関係がないので割愛します。

さて、私はこの3年間で、心を守るために自分を殺して逃げる以外に、どうすべきだったのでしょうか。

今のようにインターネット自由に使えない、電話もできないのでなんとかホットラインにも相談できない、家庭では悪者勉強をしない不真面目な娘扱い…

私が声を上げることができなかったので、3年間、ずっと苦しむことになったのだろう。それは原因の一部ではあるはず。

この出来事客観的に見れるようになった今でも、10年前の私はどうすべきだったのか、未だにわからないのです。


※補足ですが、私が3年間つらくてもなんとかやってこれた背景には、親友のBと、Bのお母さんの存在があります

Bのお母さんは、たまに会う程度でしたが私とAの事情を知っていて、会う度に私の心配をしてくれましたし、私は悪くない、Aが悪いと言って励ましてくれました。私にとって、一番信頼できる大人だったと思います。この方のおかげで、本当は自分は悪いことはしていないんだと、心を強く持っていられました。

また、Bも常に私の味方でいてくれました。毎日泣いていても付き添っていてくれたり、愚痴を聞いてくれたりもしました。彼女とは今でも深い交友がありますし、これから人生でBが大変な時は必ず力になりたいと思っています

BとBのお母さんには感謝してもしきれません。これを書いて改めてそう思いました。

以上、自己満足自分語り駄文でした。最後までお読みいただきありがとうございました。

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