横からあれだが、手段がダメだったのはまあ、それはそうで。でも後だからわかること。
元を正せば、第一次大戦の敗戦で、ドイツは苦境にあった。
苦境にあると「解を求める」。
「誰かこれが正しい解だ!」と言い出す人がいたとする。
けどね、その解が正しいとは限らないんよ。
でも、それっぽい解だったら、その解の下に突き進む。
その元殺戮や戦争が起きたらたまったものじゃない。
特に民族差別みたいなものは「その正しいっぽい解」になりやすい。
キリスト教とユダヤ教の対立は深刻だから、言論で封鎖してでも何らかの拍子で正しいっぽい解にならざるを得ないのかなぁ。
何か「怪しい解」として使われそうなものがあったらひとつひとつ気がついたら叩くしかないかなと思う。
まあ、一番は経済が適切に運営され、「怪しい解」に飛びつかなくていいようにするのが一番いいんだろうけどね。
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