パンフレットみると脚本会議に岩井俊二も参加してるしいくつかの改変は岩井のアイディアをもとにしているみたいだが
惡の華のときみたいに自分の感性に合わないと言えばいいだけなのに迂闊に原作者の代弁をしてしまうレビューがでてくる案件かもね
助けてと正確に言うのは、自分がどうすれば助かるかわからないと出来ないこと。
わからないうちは助けようとした周りも巻き込んで泥沼にはまる。
精神科の出番です。
ゲイ向けAVの中に、ノンケをレイプするものが一つのジャンルとしてあるらしい。
レイプものAVを見てる奴がみんなレイパー予備群だとは思わないが、ノンケから見たら気分が悪いことこの上ない。
「女性がレイプものAVの存在を知った時もこんな感情なんだろうか」と思ったが、それはさておき。
ノンケレイプAVのパッケージに「ノンケの未使用アナル」とかいうワードが載っていた。
ゲイにとって「ノンケ」とは、ヘテロにとっての「処女」と同じくらいの意味合いなんだろうか。
「処女をレイプしてセックスに目覚めさせるAV」って男から見ても悪趣味の極みなんだが、
こういうのを喜んで見ているのは一部のゲイだけなのか、それともゲイの中で主流なんだろうか。
ゲイの人の見識を伺いたい。
https://anond.hatelabo.jp/20170817225450
のブコメに、
何を主張することもなく、全存在が、ただ存在する、というそれだけで自動的に救済されているべきであり、「助けてほしいと正確に叫ぶことができる人が助かる」ような社会は肯定されるべきではない。
「かわいそう」って思われないと助けてもらえなくて、「かわいそう」って評価が嫌いな人が助けてもらえない印象。
なぜ、助けてと言えない人が助からないのか?それは、助けてと言えない人は助けられてもそれを受け入れることができないからなのだ。助ける側の問題ではなく、助けられる側の問題なのである。
きっとこれを読んで、助けられる側に問題があるから助からないなんてのは残酷だ、と思う方もいらっしゃるだろう。けれども、そもそも助かると言うのはどう言うことなのだろう?
それは、助けられる側の問題が解決した状態、と言うのではまだ足りない。助けられる側が助かったと思える状態まで行かないと助かってはいないのだ。
つまり、助けられる側が助かったと言う認識を持たねばならず、この点をクリアするために必要なのは助ける側が助ける行為をすることだけではなく、助けられる側がそれを受け入れるということが必要だ。助けられるということは受動的に与えられる救いではなく、能動的に動かねば掴めない幸せなのだ。
だから、助けてと言えない人、自分は助かりたいのだということに素直になれない人は、どうあがいても助からない。
そして、素直に助けてと言えない人はたくさんいる。助けの手を差し伸べられても、過去の経験からそれを疑ってしまってそれを掴めない人はいる。助けてもらっても、助けてもらった自分をかわいそうだと思われた自分だと認識して助けてもらったことを否定してしまい、元の地獄に戻ってしまう人もいる。そのほかにも、様々な理由で助けてと言えない人は本当に多い。
そういう人々が助かるためにはどうしたらいいのか?
助けてと言えない理由は千差万別だが、助かるための処方箋はたった一つである。
それが、素直になることなのだ。
素直に助けてと言えばいい。助けの手を素直に信じればいい。助かった時に素直にそれを受け入れればいい。
それで裏切られることがないとは言わない。
しかし、努力が必ず人を報いるわけではないが成功のためには努力が必要なのと同じように、素直になったからといって必ず助かるわけではないが助かるには素直さがどうしても必要なのだ。
【追記】
違うよ。確かに、助かりたいのならば素直になれ、という話だけれど、素直じゃない人にも助けの手を伸ばしている人はたくさんいるよ。元増田もそう。だから、素直にそれに気づいてくれ受け入れてくれ、って話だよ。
合意するべきポイント(妥協点)がなんなのかわからない状態が、
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170812-00000006-nkgendai-base
甲子園初出場を果たすも文武両道を否定して前時代的な指導で物議を醸した下関国際だが、自分はこの高校を見て真っ先に「駆けろ!大空」を思い出した。
20年位前のコロコロコミックで連載されていた野球漫画なのだが、漫画はこちらで読めるので、興味があったら読んでみるといい。
https://www.mangaz.com/book/detail/44691
下関国際が駆けろ!大空に似てると思うところとオススメポイントを書く。
「不良たちが一丸となって甲子園を目指す」と聞くと、まっさきにRookiesが出てくると思うが、Rookiesの連載開始は1998年、駆けろ!大空の連載開始は1996年である。自分はこういう「マイナーだけどジャンルの中では一番最初にやってる」みたいな作品にすごく弱い。もしそういう作品を好むなら、それだけでも読む価値はあるだろう。
調べてみたが、この学校の偏差値は36で非常に低い数字だ。所謂進学校と呼ばれる高校はだいたい偏差値60以上で、偏差値36といえば下から数えたほうが早い。自分の地元の高校と比較してみれば、偏差値36がどれだけ低いかより実感できるだろう。
実際にニュース記事などを漁ると、授業妨害はちょいちょいあるし部室は落書きだらけだしでいろいろ問題のある高校だなというのはなんとなく分かる。
https://www.minkou.jp/hischool/school/review/2311/rd_276472/
http://www.asahi.com/koshien/88/chihou/yamaguchi/news/TKY200607110194.html
翻って「駆けろ!大空」の舞台となる博愛高校だが、授業中に校舎内でバイクを乗り回し尾崎豊よろしく窓ガラスを割って回る不良とか、落書きだらけの部室とかが出てきて、今で言うところの教育困難校っぽい感じが冒頭の随所で描写されていた。
偏差値が低いからって実情はそんなに悪くないっていうのはもちろんあるが、少なくとも自分はこういう学校には行きたくない。
メンバーが一通り揃ったところで他校と練習試合をしようとするも不良だらけの学校だからどこも取り合ってくれない。そんななか、練習試合を買って出た高校と練習試合をすることになったが、こいつらがやばい。
こいつらも不良なのだけれど、デッドボールは当たり前、バントすると見せかけてキャッチャーの顔面にバットを当てるわ、ピッチャーの肩にバットを放り投げるわで、終盤はメンバーのほぼ全員が立ってるのもやっとという惨状になる。
「9回までもったのはこいつらが初めてだぜ…」とか相手高校のモブがぼやいてたけど、そういうスポーツじゃねえからこれ!
この、「相手を先に倒したほうが勝ち」みたいな風潮、今のテニプリなら当たり前だけど、それを20年前に先駆けたこの作品はマジすごいと思う。
終盤、地区予選でライバル校と戦うのだけれど、7回まで0-0だったのにメンバーの一人のエラーで失点してしまう(待ちガイルvs待ちガイルでソニックブームをガードしてしまった感じ)
重要なタイミングで致命的なエラーをやっちゃってすごく落ち込んでるところに、「お前にしては上出来だ、これで俺の逆転ホーマーが際立つ」「何言ってんだ、こいつは俺のために見せ場を用意してくれたんだ!」ってうまくフォローしあってるところがすごく好き。
不良に限らず、基本的に世間の落ちこぼれが何者かになろうと何かをめざすストーリーってなんだかすごく良いって思う。個人的には高校野球自体そんなに好きじゃなくてなんで野球部ってみんな坊主なの?とかなんでかき氷禁止なの?とかなんでスマホ禁止なの?とかいろいろ突っ込みたいところはあるし、こんな練習じゃ絶対死人が出るだろうって思うし、生存バイアスに満ち満ちているけど、やっぱり人間って何かそういうサクセスストーリーのようなものが1つでもあればいいんじゃないかなって思うんだ。
戦後の対米従属関係を自主憲法制定により健全化したいという点において、自民党と共産党はある種似ている。
自民党改憲案は安倍さんの独断でころころ変わるので良くわからないが、2012年改憲草案を読む限りは恐らく国家社会主義をやりたいということらしい。
反発を受けてるのは主張内容じゃなくて表現法なんだよ。
どんなに正論でも大勢の人の見てる前で頭をぶん殴られて頭ごなしに怒鳴られたらムカッとするし反発もしたくなるだろ?
反差別界隈の中でも一部の連中は同じようなことをしてるんだよ。
いろんな場で言われるけど反差別界隈の連中が反発を受けるのは崇高なる大義じゃなくて表現法の悪さだったり乱暴な態度なんだよ。
反差別界隈の連中はどういうわけかそこを勘違いしてて、反発を受けてるのは自分の崇高な大義だと信じ込んで悲劇のヒーローぶってんだよね。