政府は教育、研究に金をかけない、労働環境を改善する気もない。
そりゃあと30年そこらでこの世から退場するじいさんどもは別に子供たちがアッパラパーだろうが強い産業がなくなろうがどうでもいいだろうけどさ、若者はそうはいかないじゃん。ただでさえ遅くまで働かされて疲弊してるのに未来は崩壊してるときたらそりゃ通勤電車を止めたくもなりますよ。これから未来を生きる人たちが物事を決めていかなきゃいけないのに、組織のためにボロボロになってじいさんたちを肥やしてりゃ世話ないわ。
大学時代の友人たちと将来の話もするけどさ、みんな日本は崩壊する前提で考えていて、多くは海外に出ようとしてるんだよね。でもそれって一部の優秀な人にしかできない芸当で、彼らと同じ大学を出てるのに優秀でない俺なんかはおそらく日本で暮らしていくしかないんだよね。
でもどう楽観的に見ても20年後の日本が暮らしやすいとは思えない。だから今からでもまともな政策を施してほしい。ほしいんだけどもうこっちからガンガン声を上げていかないとやってくれなさそうじゃん?お上って。ネットに書き込むだけじゃなにも変わらなさそうだし、じゃあどうやったらある程度影響力のある声を作れるんだろうかと考えたらやはり古典的な方法過激な方法しか浮かばなかった。
続きはまた書く。
https://anond.hatelabo.jp/20170819111344
たしかに、一時的に媚びることは、ありですよね。柔軟性も重要というか。
とはいえ、今はそれが、何でわたしが媚びるの?と思ってしまうので、病んでいるかもしれません。
ありがとうございます。ニコっ。
https://anond.hatelabo.jp/20170819101844
親切で言ってくれているのか、
嫌味で言ってくれているのか、
たんに思ったことを口にしてしまうだけの人なのか、
性犯罪はなくなるかもしれんけど、腕力に差がある事には変わりがないから、女性が強盗やひったくりのターゲットになることには変わらんと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20170819101823
正論厨、そうなんですよねえ。
問題に気づいたら、手間が少ない人が基本やれば良いのに、って思う。
言葉より行動。
そして、何をもって問題と認識するかの共通認識がないと、普段から
コミュニケーションをちゃんととってないと、とは思うのですけどね。
相性が合わない人とはほんと合わないので、キツイですけど。
若菜とかにしとけ、アホ
信用経済とかそんなに続かない気がするなー、とふと思ったけど、
続かないのは信用なのか経済なのか。両方だなー。
いずれもいらなくなる。
とか書いてて、飛躍してるなーと思って、
恥ずかしくなった。私はサイコパスではない。
私はこのような私の論理的な飛躍を楽しんでくれる人たちを
友人に持つ事で人生をくぐり抜けて来たのだと思う。
なるほど。やり方を初めて知った。
近所のインドカレー屋がとても美味しい。
カレーの種類が多く、セットだとどれでも選び放題だ。
が、客がいない。とにかく客がいない。
12時に行ったら貸し切りだった。私にカレーを出したあと、シェフは通路をじっと眺めて過ごしていた。
店を出る時に「来てくれて本当にありがとう、また来てね」とナン度も頭を下げられた。そこまでしなくていいのに。
こんなに美味しいのにナンでお客さん入らないのか。
心当たりがひとつあるとすれば、内装がナンとも言えない感じでショボいことだ。
インド風とはまるで違う。カフェっぽくして失敗してダサくなっちゃった感じ。
でもそれだけなんだ。飯は美味いのだ。
近所にできた美味い店をみすみす潰すのは惜しい。
入院したと母親からメールがあり、その数日後、退院予定日とともに余命宣告されたことを知らされた。
体調が落ち着いていれば2〜3ヶ月。急変すれば、いつまで持つか分からない。会いたい人には知らせてと医者が言ったらしく、父さんが元気なうちに帰って来て、という内容だった。急な話ではなかった。父親は平均寿命に達しているし、数年前に癌で手術をしたこともあり、心の準備だけではなく、墓や葬儀などの物理的な準備もできているように思う。
父親について考えると、いつも子どもの頃を思い出す。母親が私へと買って来たシュークリームを欲しがった日のことだ。外は雪が降っていた。夜になって、喜んで食べようとしたら、ひとつくれと父親がテーブルの向こうから手を伸ばして来た。母親はシュークリームをしまった後で風呂か早く寝てしまったか、覚えていないが、部屋にいなかった。多数あるわけでもないし、私のために買って来てくれたものだ、冗談だろうと避けると、立ち上がって追いかけて来て、テーブルのまわりをぐるぐると追いかけられ、最終的に頭を殴られて怒鳴られた。シュークリームを持ったまま自分の部屋に戻ったが、なんでこんなもので殴られなければいけないのかわからず涙が出て、結局一口しか食べられず残りは全部少しずつちぎって窓から捨てた。ずっと雪が降っていたので埋もれて、両親は知らないだろう。そのときの、窓から見た光景を今でも覚えている。もう20年以上前の話だが、そこからずっと父親が嫌いだ。
実家を出た後、母親からは何かと父さんが会いたがってる、父さんが喜ぶ、と連絡があった。それを聞くたびに帰省する気が失せる。今回もそうだ。別にこのまま顔を見せず死んでも問題ない。余命宣告で誰しもが神妙な顔で相手のために動くわけではない。父親というだけで飛んで帰ると思うな。育ててもらってと言うなら、何千万だ返してやるよと思う。金で縁が切れるなら大歓迎だ。私を育てたのは母親だ。結婚は絶望的だが馬車馬のように働いてるので金はある。父さんの妹にそっくりだの、父親はやっぱり娘が可愛いんだねだの、ずっとまっぴらだった。兄にきつく当たるくせに私の機嫌を取ろうと様子を窺ってくる父親がずっと気持ち悪かった。父親の兄への態度のせいで、母親は私よりいつも兄を気にかけていた。父親の猫なで声を聞くたびにずっと恨んでいた。父親が死ぬ間際にシュークリームの話をして殴られてからずっと嫌いだったと言ってやると思ってたが、30も半ばでその場が近づいてくるとさすがにそんな考えはなくなった。なくなったが、なんで自腹で高い飛行機代出して、貴重な休暇使って、嫌いな相手を喜ばせに帰らなきゃいけないんだ。単純に面倒臭い。母親は心配なので、母親の顔は見たり助けたりはしたいが、父さんが、を頭に付けられらるともう駄目だ。嫌いだとは母親にも最後まで言わないつもりだが、それ以外に死ぬまで帰省しない言い訳が浮かばない。